2012年5月 1日 (火)

「反転する実践」に関連して。

 先日観てきた〈シンポジウム 1970年代イタリアとアントニオ・ネグリ『戦略の工場』をめぐって〉。特に上村忠男さんの発言・レジメ「イタリアにおける「反転する実践」の系譜―アントニオ・ネグリ『戦略の工場』読解のための一資料―」に触発されて、考えてみたことなどのメモ。

■1■「シバリ」ある主体性・「先行与件による制約性」。

 イタリアにおけるマルクス「フォイエルバッハ・テーゼ」の読解。

 ジェンティーレに対比させての、モンドルフォ的な、マルクス「フォイエルバッハ・テーゼ」の読解。「人間の活動における先行与件による制約性」(上村「レジメ」07P)。

 田中吉六でいえば「受苦的・情熱的」、シバリのあるものとしての人間の「実践」・「対象的活動」。

■2■「実践の反転」のモンドルフォ的な了解の二つの意味合いの1 ジェンティーレとモンドルフォ。

 ひとつは、ジェンティーレ(上村さんレジメから引用すれば「グラムシについてはまずもって彼がジェンティーレからのことのほか深い影響下にあったという事実を確認しておく必要があります」(上村「レジメ」09P)とされるジェンティーレ)的(フィヒテ的、自己創出)解釈(上村「レジメ」04P)に抗するものとして。

 「ジェンティーレによってとらえられたマルクスの「現実主義」とは、むしろ思考主体による思考対象の自己創出、あるいはドイツ観念論の伝統のなかにあって例の"Selbstenfremdung"(自己疎外)の概念に近いというか、これのひとつの展開形態としての現実主義であることがわかります」(上村「レジメ」09P)。

 (モンドルフォは)「「反転する実践」ととる点ではジェンティーレと見解を同じくしながらも、「反転」構造自体の解釈にかんしては微妙な違いを見せています。モンドルフォは、「反転する実践」という概念には人間の活動における先行与件による制約性ということが含意されていると受けとめます」(上村「レジメ」07P)

 ここでの「肝所」は、「観念」か「労働」かとかいうことより、「先行与件による制約性」が組み込まれているかどうか、にあるだろう。
 上村「レジメ」からジェンティーレを孫引きしておけば

 「原因は結果を前提にしているのであり、それ自体が結果なのだ」(上村「レジメ」04P)。
 「認識がなされるときには、対象が構築され、製作されている。そして対象が製作ないし構築されるときには、それは認識されている。したがって、対象は主体の産物である」(上村「レジメ」05P)。

 「純粋行為」でも「フィヒテ的意味でにおいての自己生産活動」でも、ジェンティーレのこのあたり、すべて過去の生(ナマ)のものへと還元してしまう・後期マルクスによって批判された「アダム・スミスの「V+Mのドグマ」」と同様の図柄が読み取れ、興味深かった。
 たとえば、「制約」抜きの「主体」「主観」の内面の自己表出だとか。「制約」抜きの表現論・外化論なども同様だろう。

 モンドルフォの場合には革命的サンディカリズムに対するものとして。

 「サンディカリストたちの場合には、創造的な意志が自由に「神話」をつくりあげる。たとえば総罷業の神話がそうである。これにたいして、史的唯物論の場合には、つねに"rovesciamento della prassi"が存在する。先行する活動が、それのもたらす諸結果のなかで、後続する活動の条件および制約に転化する」(上村「レジメ」08P)。

(たとえば白井聡の「アナキズムの二元論にたいしてレーニンの一元論を評価するしかた」にも共通する。サンディカリストたちの「創造的な意志が自由に「神話」」をつくるというのは、相手側の事情と全く別個の、何のシバリも受けない「力」を認めてしまう「アナキズムの二元論」ということだろう)。

■3■「実践の反転」のモンドルフォ的な了解の二つの意味合いの2 「主観主義」

 もうひとつ。
 「イタリアにおける「反転する実践」の系譜がこのようにして主観主義のラディカリズム産み落としたことに、その系譜の魔力をあらためて思い知らされている」(上村「レジメ」13P)と上村さんが評するもの。

 「逆向きの介入がなければ歴史過程は前に進まず、弁証法を実現しない。「実践の反転」とは歴史過程の弁証法への主体の実践によるこういった逆向きの介入を指して言われているのではないかと考えられるのです」(上村「レジメ」13P)。

 「市田さんはネグリによる「実践の反転」論を1970年前後に世界各地の新左翼のあいだで猖獗をきわめた「政治的主観主義」のイタリア版というようにとらえておられます。おおむね妥当なとらえ方ではないかとおもいます」(上村「レジメ」13P)。

 アントニオ・ネグリ『戦略の工場』の市田良彦「解説」より引用。

 「言い換えるとその政治的な意味は、「モノがヒトを決定するのではなく」というところにこそあった。しかし「俗流唯物論」への対抗という歴史的文脈を外してみれば、論理としての「疎外―物象化」論」はヒトによるモノへの能力移譲を説明しているのであるから、移譲の結果「モノがヒトを決定する」事態を排除しないどころか、必然とするはずである。政治哲学としては、「俗流唯物論」と「疎外―物象化論」は排他的でないどころか、結果的に同じなのである」(市田良彦「解説」506―7P)。

 「「疎外―物象化論」が政治的に現実的な意味をもちえたとすれば、それはしたがって、哲学的な「疎外―物象化論」ではない思考の兆候であったと考えるべきだろう。政治主観主義は、俗流唯物論とも疎外―物象化論とも異質な論理が”実践状態で”働いていたことの印ではないか」(市田良彦「解説」507P)。

 同じく市田良彦『革命論』(平凡社新書)から。

 「バディウが存在論に先んじて主体の理論に向かった所以は、彼とアルチュセールを文字どおり「分裂」させた「六八年五月」にかかわっている。アルチュセールにとり、「五月」はプチブルの無政府主義的、自由主義的、ローザ(ルクセンブルク)主義的な叛乱にすぎず、けっして革命ではなかった。プロレタリアートが事実上、合流しなかったからである(ゼネストはあったものの、労働者が街頭叛乱に参加したとは言えず、出来事は「学生の五月」-アルチュセールの論文のタイトルである-に止まった)。バディウにとってはしかし、革命とはそういうものでしかありえなかった。階級的「本質」を無視した大衆叛乱としてはじまったことが「五月」の革命的性格の証であった」(市田良彦『革命論』108P)

 アラン・バディウでは「真空と原子のあくまでも客体的な関係が、クリナメンにより、原子と原子の間の主体的関係に「転記」される」(市田『革命論』101P)。

 市田が引用するアラン・バディウ的「原子―クリナメン」のはなし。
 「ブルジョアジー」「プロレタリアート」「大衆」「叛乱」なりがアラン・バディウ的「原子―クリナメン」のはなしに埋め込まれ、「確認」されていたとしても、それはアルチュセールから否定的な・ちゃらちゃらした・あだ花と評価されていたことども(「五月」)の「正当化言語」以上のものではない。マルクスいうところの「上向」のはなしなのだ。「濃い」言葉は古い常識のまま放置されてしまっている。

 アラン・バディウ的「原子―クリナメン」であれ、一般論から直接に、特定の「大義名分」をひっぱってくる(「自己特権化」)ことはできない。
 ただし、時と場合(「旬」)によっては、一般論を使用しての「自己正当化」そのものが、現在的な、具体的な効用を発揮するツールとして役立つこともあるだろう。ただそれだけでは、状況の「ズレ」とともに「濃い=(少なくとも身内にとっては)特権的」「言葉」は放置されたまま、まどろんでしまうのだ。

■4■上村さんのいう「魔力」。ではこの脱神話化、悪魔祓いとは。

 一九六九年、ロック世代にとっては、ウッドストック(の「外部向けの神話」)から半年ほどのオルタモント(の「悲劇」)。(一面に写真入りで報じていた『ローリング・ストーン』紙を入手したのは、二階への途中の踊り場の脇あたりに大衆音楽本が置かれていたころの(まだそのあたりに番台があったようなころ)イエナ書店だったか、渋谷のヤマハだったか、忘れた)。

 ネグリ『戦略の工場』の元本の出たのが一九七〇年代。たとえば同時代の廣松渉と比較してみれば、ネグリはやはり、まだまだ上村さんのいう「魔力」に「ウットリしてた」のではないか。

 廣松の「世界の共同主観的存在構造」というのは、「資本主義世界の」でもなければ「階級社会一般の」でもなく、「人間一般にあてはまるもの」としてのにんげんの存在構造だ。事実上、いつでも・どこでも・誰にでも・あてはまる人間存在のチョー一般論として、「労働」なり「対象化」なり「実践」なり「主観」なりの「濃い」言葉の脱色化、脱神話化が進行していたのだ。
 「関係の第一次性」の構え、「先立つスッピンのもの」を想定しない発想がデフォルトとなってくるのは七〇年代以降だったとおもうが、廣松も、その「森羅万象」の物象化論の部分が「現代思想」一般と同様に民衆の占入見の変化に合致していた。
 廣松流の「血も沸かず・肉も踊りそうにない」脱色された「物象化論」は、だからこそ少なくとも一九七〇年代ころに限っていえば、狭い意味での左翼からはズレた読者層を獲得していたのだ。

 「絵に描いたような労働」に比しての大衆社会の中での自分たちの位置。その空隙に悩むよりは、むしろ高度大衆社会での、根を持たないかのような諸行為までも労働とよんでしまえるような、それら諸行為を人類史のなかでまっとうに位置づけられるような労働観が求められていたのだ。つまりこの大衆社会の、都市生活者の、「贅肉」の、「あらゆる社会に通ずるような実体的な根拠を持たない」とされてきた「流通」の、正当化原理としての関係論的な労働価値説の必要性である。宇野弘蔵の方法摸写説になぞらえるならば、価値尺度の「骨髄を抜かれ」ふわふわとした高度大衆社会の現実によって問題設定の土俵が与えられたのだ。古典的な資本主義社会では、労働とは何であるかなどは、あたりまえすぎて俎上に上らなかった。

 廣松『資本論の哲学』では開拓者としての学説史的なブレもあり、現代的な浮遊感に則してというより、人間存在の一般論としての四肢的存在構造論に傾きがちだった。七〇年代、『資本論の哲学』での価値形態論議に対しての宇野派からの批判にも示されているように、廣松のやっていたことは、個別、商品というスタイルに特有の価値形態論議(特殊歴史性)というより、商品を扱いながら・人間の一般論としての四肢的存在構造を確認する、という方向に向かっていたこと。
 そのことを逆手にとり、むしろ価値形態論議の場における不十分性としてでなく、人間一般の存在構造論の場における画期性として正しく評価してやること。
 ただし廣松自身も、一九八〇年代以降には、既存の「濃い」言葉に再び取り憑く方向にいってしまったようにみえる。

 (ちなみに市田『革命論』での「宇野弘蔵が『資本論』から読み取った、永久に自動運動するマシーンとしての純粋資本主義、という見立て」(市田良彦『革命論』102P)。宇野景気循環世界のなかでの、新しい景気循環を準備するものとしての周期的恐慌・周期的恐慌を含む景気循環をつうじた「自動運動するマシーンとしての純粋資本主義」、と読み込んでゆけば、さらに論点はひろがるだろう)。

■5■上村さんのいう「魔力」、続き。

 魔力の無力化は「主体」の「たんなる相対化」という方向でははたされない。たんなる相対化されたはずの主体が容易に「超越化」してしまうことへの歯止めのなさについては以前から書いてきた。

 市田は「たんなる相対化」ということではない。アルチュセール―バディウ(「言うなれば「偶然性唯物論」を主体化論にするのである」市田『革命論』99P)についても。ネグリによる「「実践の逆転」ないし「反転」である」(市田「解説」511P)とするレーニンの読解についても。

 「けれども、歴史過程と革命過程の並存が「今」という時間なのだとしたら? いつでも脱臼しうる異時間の接合と軋みが現実的な「時間」なのだとしたら?」(市田良彦「解説」512P)。

 ここに第一部門(直接喰えないモノ)を、それとして、第二部門(最終生産物)と同時にとらえた後期マルクスの画期性がでてくる。→マルクスによるスミスの「V+Mのドグマ」批判の地平。=「過去」を「同時に」取り出す、しかも再生産の動態のなかで=「期間」(移行の一般論)(「要綱」では「再生産表式」なし)。

 ①大前提として、何事も、たんたんとした・何の特権性もない・ただの(いうならば48分の1)人間の諸行為のひとつ以上でも以下でもない、という地平。
 一般論としての方向で精緻化。=脱神話化の大前提。=「上向」=自己正当化(自己特権化とはならない)。

 「疎外された物象化と疎外されない物象化」とかの類だったら、それでは物象化論ではなくただの疎外論になってしまうが、市田のいう「疎外―物象化主義」についてはどうだろうか。
 市田『革命論』で使用されているアラン・バディウでも、「原子―クリナメン」の一般論が、そのままで・特定のへばりついた濃い言葉の常識に依存したままで使われているのではないか。(「原子―クリナメン」を使っての「自己確認」という以上に「自己特権化」。この理由は「濃い言葉」の脱力化・脱神話化が不十分だから=あらゆる諸行為にまで拡張していないから「うっとり思い入れ」る余地がうまれる。「疎外―物象化主義」を超えてない。
 「労働」・「実践」・「変革」などの濃い言葉の「人間一般論」への脱力化・特権性の剥奪→ここをはずすと市田いうところの「疎外―物象化主義」の枠内に収まってしまう(「魔力」に対抗できない)。

 マルクスの労働の二重性、普遍性と具体性の二面ということ(宇野なら超歴史(原則性)と特殊歴史(法則性)との2面、吉本なら自己表出と指示表出との2面性)。これらを実態的に分けるのではなく、全てについて二重性で考えること。

 ②その上で、その他のもろもろの諸行為と比べて何の先見的な特権がないとしたうえで、惹きつける「力」とは?
 人間の一般論だけでは、一般的な正当化言語としての以上にはならない=「上向」=自己正当化の効能。

 自己正当化用のツールが、そのままで自己特権化のツールとならないためには、「旬」という位相の導入が必要。「旬」という位相の導入によって、「偶然性のなかの特権性」(=思い込みのひとつとしての「諸王の王」)がでてくる。特定の諸行為・主体への濃淡をつけてやるためには(特定の事態・形態という場に限定されての濃淡)具体的な世界、「旬」を導入しなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月 1日 (日)

境界線と領域 (3)

「境界線と領域」全三回、2011年。 今回は「[三] 再生産の境界線」。

[三] 再生産の境界線

 誰からも忘れさられ、新品のまま積み上げられた倉庫の中で朽ち果ててゆく過剰在庫の山や、市場出荷調整のために捨てられる野菜たちのように、「価値」になりそこねることで「モノ」にもなりそこねた、人間の「あらゆる諸行為」のなれの果てたち。たとえば無味乾燥とされがちな「再生産表式論」にも、部門間の調和のまわりに、価値物になりそこねることでカウントされなかった価値の「亡霊」や「妖怪」たちがひしめいているのだ。

 以下はネット上の掲示板への投稿から編集・抜粋したもの。

●もう一度だけふりかえる

 (1)まず「v+mのドグマ」をめぐって。
 手許の不完全なログをみるかぎり、この板でのTさんの「結局、c1部分をv+mから控除しないと単純再生産は維持できないのではないか」という発言から、はなしがはじまったはずです。
 これを「c部分」とせず、「c1部分」としたことが大きな問題だった。というのは、「c部分」全体(「c1+c2」)ではなく「c1部分」としている、ということ。マルクス、宇野の「社会的総資本の前年度の全生産物」=「W'」という抽象度の重要さ。これを「c1部分としたこと」、その理由はマルクス表式第一、第二部門を時系列で考えているようなところもあったTさん流のマルクス表式解釈。それで「v+mのドグマ」の問題と、マルクス表式解釈問題とが重なったのだとおもいました。

 上のフレーズをマルクス表式解釈の問題と切り離してみて、たとえばある期初の社会的生産物全体であるc+v+m全体が、当該期間中の再生産過程(生産、分配、交換、消費)を経て次の期初に新たなc+v+m全体となる。

 この新たなc+v+m全体のうちv+mについては当該期間中に新たに形成された。ではこの新たなc+v+m全体のうちcはどうか。
 マルクスでは旧価値の新生産物への価値「移転」。しかし、新たなv+m全体のなかからの控除と見るのがTさんの発想だった。

 もしそうなら、これはこれでおもしろい問題がゴロゴロ出てくるとはおもう(自分もこの発想からヒントをえて、c+v+m全体が当該期間中に生きた労働によって新生産されたとみなして構わないくらいまで考えるようにもなった(「労働観の現在」『本誌』六号、参照)、が、それはまた別のはなし)。
 しかしマルクス表式について、もともとTさんは表式第一と第二部門との関係を時系列的に考えてるようだった。まず第一部門で生産がおこなわれ、その結果を受けて第二部門がおもむろに生産を開始するような、個別資本の相互連関から切り出したモデル例のような。そのため「v+mから控除」のはなしと、マルクス表式第一と第二部門のはなしと重なりあってしまったのではないか。

(2)半年ほどたったTさんの投稿。それへの自分の「マルクスは「減価償却(固定資本減耗)」部分についても、「年々の生きた労働v+m(グロス)のうちから控除」されるのではなく、「過去からの」一部「遺贈」とみていたのではないでしょうか」の感想、これは別に、通常のマルクス経済学の教科書ふう解釈だとおもうが、このあたりからJさんもふくめてまたまた議論が再燃、錯綜してきましたね。
 ここからはなしは、マルクスのスミス評価の成否の問題(スミスの「v+mのドグマ」)から、Tさん流マルクス表式解釈の成否の問題(マルクスの第一、第二部門をどう解釈するか)になってきた、と自分では考えてました。

 宇野の新(といってもだいぶ古い)『原論』では「表式は、以上述べてきたように、社会的総資本の前年度の全生産物をW'として出発点とし、その商品としての売買交換を通して、それを基礎にしてその年度の生産をなし、その生産物を次年度の出発点とするというようにして、資本主義社会の再生産過程を図式的に解明するものである」。

 日高普は、宇野が(「期間の観念」を前提にしているにもかかわらず)「表式論の展開に当たっての、期間の観念の希薄さ」、ようするに説明不足を指摘するが、「時間の経過を、例えば一年というような一つの単位で区切」り、「それをひとまとまりのものとして取扱い、こうして第一期間と第二期間とを比較する。それは再生産そのものを理解するのに必ずしも必要欠くべからざるものとはいえないが、再生産表式を理解するうえには必要欠くべからざるものとなる」(日高普「再生産表式への展開」『経済志林』四五巻三号)としている。

 「第一期間」の期初にもともとあった第一と第二部門の生産物全体(と労働力商品)が、「第二期間」である次年度の期初をどのように準備するかを「図式的に解明する」。あらゆる社会につうじる社会的生産編成、分業編成のなかでの各種商品の位置を定めてやる。この目的にとって、マルクス表式の「社会的総資本」の生産編成図式は過不足ないとおもいます。

●「確定性」と「不確定性」

 Jさんの「外国貿易捨象の論理」(確定的な国内生産の外側に、「未知数が増えて方程式が確定解を持ちえなくなる」原因となる「外国貿易が存在」)、それと「利潤率の均等化機構」から、「技術的確定性を持つ」生産に対比された「流通過程の無政府的変動とそれに起因する流通費用の不確定性」。
 それぞれの投稿から抽出したこのあたり、同じ思考パターンが読み取れました。「国内生産」や「生産過程」の「確定性」と、「外国貿易」や「流通過程」の「不確定性」。はっきりした固いもののまわりにぶよぶよしたもの、ということでは「流した汗の量」に対応しない、価値基準など吹っ飛んだかのようにも見える「商品価値」、「システム価値」、「いらないものが多すぎる」(Too Much Of Nothing)、「過剰消費」、「バブル」などなどの言説」とも共通のパターンのようでもある。

 「投下労働」であれ素材的な「技術的確定性」であれ、「実体」の座に、手にとってさわれる・絵に描いたような感触を追い求めるのか。あるいはただの相対主義、うらに隠し事のない、ただの需給の結節としての「価格」で満足するか。この堂々廻りパターンは、さまざまな場面でよくみられましたよね。

 かつて第一次的に立てられていた「自然的労働時間」や「経済原則」の代わりに「技術的」確定性(個別的確定性であれ社会的生産編成総体としての確定性であれ)や「物量体系」を第一次的(遡及される「最終審級」)に立てること、その発想じたいから、「実体」観じたいから考え直すのに、現代は絶好の時代だとおもうんですが。

●「確定性」と「不確定性」(もう少し)

 こんにちは。

 まず商品の「命懸けの飛躍」のあたりのマルクスから引用。

 「その商品に支出された労働は社会的に有用的な形態で支出されておらねばならぬ。または、社会的分業の環たる実を示さなければならぬ。しかるに分業は一の自然発生的な生産有機体であって、その構造は、商品生産者たちの背後で織りげられたのであり、また織りつづけられてゆくのである」
 「自己の分散した諸環を分業の体制において表示している社会的生産有機体の量的編成は、その質的編成と同じように自然発生的・偶然的である。だから、わが商品所有者たちは、彼等を独立の私的生産者たらしめる同じ分業が社会的生産過程およびこの過程における彼等の諸関係をば彼等自身から独立のものたらしめるということ、諸人格相互間の独立は全面的な物象的依存の一体制によって補足されるということ、を発見する」(以上、長谷部訳『資本論』、「貨幣または商品流通」の「流通手段」の「(a)商品の姿態変換」から引用)。

 「貨幣の「流通手段」機能でこのはなし出来るのか」問題はさておいて。マルクスの「商品の命懸けの飛躍」とは、労働、生産の場面の「確定性」に対比して「市場」の場面の「不確定性」、狭い意味での流通の場面の「不確定性」なのだろうか。「商品の命懸けの飛躍」とは、むしろ「意図によらない/デザイナーなしのデザイン」(稲葉振一郎)の、私的生産スタイルによる社会的生産編成(「一の自然発生的な生産有機体」)に固有の、一般的リスクのことではないのだろうか。「商品」が「社会的分業の環」となる回り道のすべての場面に、労働・生産の場面にも流通の場面にも、商品「所有者」が立ち会うすべての場面にあてはまるような。

 その上で、
(1)第一巻後半と第二巻、宇野の『原論』なら第二篇は、結果としての均衡状態、社会的均衡編成を前提してるわけだから、この次元では固有の「商品の命懸けの飛躍」は捨象されてる。
 宇野恐慌論での表式の使用法(というか不使用法か)にあらわれてるように、象徴的にいえば「表式に「命懸けの飛躍」なし」だ。表式に登場する「W'」は「社会的分業の環たる実を示」したものであり、交換の相手先が確定している。この次元で生産過程と流通過程との「確定性」に(技術的であれ、何であれ)差があるとはいえないだろう。

(2)第三巻、宇野なら個別資本間競争論の第三篇次元では、産業資本も商業資本も等しく「商品の命懸けの飛躍」のリスクを負っている。
 産業資本が、安定した「製造」の「技術的確定性」に依存したまま無尽蔵に製品を産出しつづけても、それは産出された製品「価値」の「確定性」の保証にはならない。商業資本は、産業資本の意向のままに言い値でいくらでも買い取り、この世の「命懸けの飛躍」のリスクを一手に引き受けるわけではないのだから。
 個別資本としての商業資本は、相応の商品量を可能な限り安く買いたたき、高く売り飛ばさなければ「商人資本形式」の使命をまっとうすることもできない。完成品を抱えた産業資本に相対(あいたい)する商業資本は、キャッシュを詰め込んだジュラルミン鞄を抱えたバッタ屋、現金問屋のオヤジのイメージで考えてやるべきだ。

 「経済学」の範囲については、宇野の『原論』を三層構造と読むなら、第三篇の、現在のいわゆる「経済学」の範囲の部分の前に、壮大な前フリとしての第一篇、第二篇が置かれている。第三篇「経済学」を裏目から読み切ろうとしたところが、「経済学批判」としての『資本論』体系の本領だったんだろうとはおもいます。

 それでは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 2日 (金)

境界線と領域 (2)

「境界線と領域」全三回、2011年。 今回は「[二]「労働」という領域」。

[二]「労働」という領域。

 [二]は、昔の「労働の特権性批判」(『季節』一〇号)三章構成の、はじめの一章から図式を使った説明部分を省略し抜粋したものだ。図式を含んだ説明はそちらを参照されたい。

●「労働」と「芸術と犯罪」と「エントロピー」

 人は、と、とりあえず大雑把に書き出してしまうことにするが、四六時中、常に何らかの形で動いている。これらの動きはさまざまな水準において、あるまとまりを持ったひとつの行為として意味づけられ、体系の内部に位置を定められることになる。

 このような意味づけは、もちろん種々の水準から可能なはずだし、実際にも時と場合に応じて種々の水準の使い分けが行われている。食事という行為を例にとろう。食事という行為は口をあける、箸を持つ、喰いちぎるなどのルーチン化された動作がひとまとまりにされたものである。さらに口をあけるという行為じたいについても、より細分化した諸行為に分解することも可能だ。逆に食事という行為も他の行為、たとえば遊戯などと結び付けられ「労働」と対比させられる場合には「消費」とよばれたりもするのである。これはすべて見る目のレベルの違いによって同一の行為を区別する例である。いずれにしても何らかの水準からの意味づけをまってはじめて、行為は行為としてありえる。

 現在、これらの行為のうちのあるものは「労働」と名づけられ、それ相応の社会的処遇を受けている。以下では「労働」とよばれるこのような行為、少なくとも歴史的に見るなら人の活動のうちで特殊な一部分を占めているに過ぎないこの行為の意味を吟味してみよう。

 栗本慎一郎は『幻想としての経済』でマルクス派労働カテゴリーの硬直化を批判し、労働の意味の拡張、というより再定義の必要を積極的に主張している。たとえば以下の文章にはかれの労働論が比較的ポジティブに展開されている。

 「労働には、実は、生産と結びつく生産的労働以外に、消費的、非生産的、または破壊的とでも言うべき労働があることにそろそろ気づいてもよいだろう。そう考えねば説明のつかぬことがあるからだ。そして、生産とは実は生産的労働の結果や、それをめぐる配置を指すものであって、当然、労働の方が広義であるべき概念で、生産はそれに付属して発生する概念である。農民が穀物を作る労働を行っているのと全く同じレヴェルで、無意識的希求に基づき、大貴族の城館の中では、非生産的労働が行われていると考えてよい。「青髭」ジル・ド・レ候の少年愛や屍体愛はそれである」(栗本慎一郎『幻想としての経済』一七頁)。

 栗本は労働を生産的労働と非生産的労働に区別する。というより、旧来もっぱら生産的労働の側面で把握されてきた「労働」の枠組みを、非生産的労働の導入により拡張したわけだ。そして非生産的労働は非日常的な「聖」なる消費とも言い換えられる。さらにこの両者の「下方」には日常的消費の大海が待ち受けているのだろう。栗本によれば「そこで二種類に分けた労働は、ともに、その労働の担い手の属する共同体の相対的維持に役立っている」のであり、「共同体全体の生存の維持という全体のテーマがあって、そのためのに書かれたドラマの筋書きにおける二種類の担い手にすぎない」(同前、二一頁)のであった。

 さて栗本の場合、日常的消費、あるいは非日常的消費(=非生産的労働)についてはかなり弾力を持たせたナイーヴな規定を行っているのだが、生産的労働については、古典的な労働観にもとづく、物理的・技術的な労働・生産カテゴリーがそのまま援用されたきらいがある。生産的労働がそれじたい生産的消費でもあることはいうまでもない。だから「生産は消費を目指す」とかの言い回しがあいまいなことは断るまでもないだろう。人の行為のすべては一面では「共同体全体の生存の維持」のための担い手でもあるのだから。だがより重要なのはこれら相互の弾力性、境界線引きの問題である。

 「芸術と犯罪は、紙一重というより、もともと同じものなのである。法なるものが、これに境界線を引き、犯罪かどうかのラベルを貼る。・・・大まかには、共同体内の高エントロピー処理に役立つものは、共同体のシステムを維持するものだから芸術とか英雄的行為(戦争)だとかとして法によって目されるし、逆に、行為それ自体は表面上全く同一に見えても、その中で共同体のシステムに「乱れ」を与えるものは、高エントロピーの生産となっているのであって、これが犯罪と目されるものなのである」(同前、四一頁)。

 この区別は行為そのものの物理的過程の違いに由来するものではない。この区別はあくまで当該社会にとっての意味の相違にもとづく、「シナリオ」上の役割りの相違にもとづく区別なのである。犯罪と芸術の例のように実体的におなじでも関係的に異なる場合もあれば、河川や海の汚染をもたらす生産の例(同前、四二頁)のように、実体的には芸術的=犯罪的行為とは違っても関係的には同様に犯罪とみなされる場合もある。しかし栗本は「労働=生産」説を批判するという「学説史的背景」を考慮すればしかたない部分もあるとはいえ、線引きの弾力性の問題が生産的労働にまで十分貫徹されていない。

 より重要なのは行為のルーチンじたいも歴史的・社会的であることの認識である。生産的労働とみなされるひとまとまりの行為、これがどの程度まで生産的労働とみなされ、どこからが切り捨てられるのかは、何ら物理的な基準によるものではなく、純粋に歴史・社会的な線引きによるのである。ナイフで刺すという直截に物理的な行為を殺人と因果関係で結び犯罪と目する社会もあれば、カラスの羽や五寸釘がその役割を担う社会もある。これは生産的労働についてもまったく同様であり、対象に物理的変容を加えるかのような行為だけを生産的労働とみなすのは、決して超歴史的な事態などではない。時と場合によっては、「純粋な流通費用」や「祈祷」などが生産的労働とみなされても不自然なことではないのだ。

 栗本では「生産的労働」そのものに限っては、通俗的な水準のままで放置してしまったため、生産的労働と非生産的労働との間に引かれる一線は硬直化してしまっている。さらに栗本の場合、「犯罪=芸術」が(生産的にせよ非生産的にせよ)労働ではないとされるのだが、労働と労働でないものとの関係も不分明なままである。労働の範囲の拡張の試みはそれだけでも画期的ではあったが、これだけでは、物理的な労働時間にもとづいた古典的労働価値説もまた無傷のまま放置されてしまうのである。

●労働と自己対象化

 栗本とはやや異なった視角から労働を考え直すこともできる。杉村芳美は次のようにのべている。

 「結局のところ、自己対象化の労働論は、労働におけるパロールの側面を一面的に強調するものである。ラングの側面は無視されるか、むしろパロールを歪めるものと見なされてしまう。純粋なパロールをとおしての自由で創造的な自己表現が理想とされるということである。しかしラングのないパロールは存在しないように、神の業のごとき自由で創造的な自己実現は幻想である。人間は環境・世界・社会につなぎとめられているのであり、したがってそこに錨を下ろしていない解釈はイデオロギーにほかならない」(杉村芳美「労働の構造」『経済セミナー』一九八二年一二月号、五四頁)。

 疎外論的な労働=自己対象化論にたいする批判としては説得的である。疎外論批判としての廣松渉物象化論が(青才高志「物神性論雑感」とは異なり)物象化をいわば歴史貫通的に考えているのと対応するかのように、杉村もここで労働におけるラングの側面の歴史貫通的性格を強調する。ただし、まず第一に労働におけるラングは商品経済的な形態を常にまとっている必要はない、という点を確認しておくべきだろう。つまり杉村の言うように全く「ラング抜きのパロールを夢想する」ことは疎外論的な誤謬であるにしても、商品経済的ではない「労働におけるラングの側面」は論理的に成り立つのである。これに関連して吉沢英成の見解を見ておこう。

 「・・・価値が労働量になるという量的規定、価値形態が価値実体を表現、反映するといった規定は、適当ではないことになる。むしろ資本の活動性のもとでは、形態は変動性・可変性を代表し、実体をも変形させつつ、新しく形成していくものだからである。生産とか実体は、形態の形成力に抵抗しつつも、やがては変質させられていく。形態は実体のヴェールどころではないことになる」(吉沢英成「マルクスの資本主義像」『経済セミナー別冊・マルクス死後一〇〇年』、一五四頁)。

 吉沢によれば、これに対しマルクスでは「資本主義像は、固着性、不変性、静態性を基軸」にしており、「均衡から均衡への途中過程としてしか動態を位置づけない」とされる。吉沢は静態的な実体に、動態的な形態の積極性を対置する。

 だがそのような議論も静態と動態との、実体と形態との二分法的な発想を免れるものではない。吉沢の方法が実体を手つかずのまま放置している以上、労働と価値とは古典的な解釈のままなのである。栗本でもそうだったが、労働=生産=物理的対象化行為という古典的ドグマを批判するという性格上、栗本の非生産的労働や吉沢の動態の強調のように、これまで照明が当てられなかった部分にアクセントがおかれるのはある意味当然である。とはいえ、それだけでは、こと労働・生産に関するかぎりでは古典的了解を超えることはできない。

 労働を諸行為のうちの一部ととらえること。そして諸行為そのものが関係的であること。ある財貨の獲得と特定の行為とを一義的な因果関係で結び、線引きするのはあくまで歴史的・社会的な事態なのである。境界線はア・プリオリなものではない。

●「労働」と「徒労の世界」

 もうひとつ別の視点から労働にスポットをあてたのは今村仁司である。今村『労働のオントロギー』については杉村も他の論文で触れているが、ここではより直截な文章を引用しておこう。

 「簡単にいうと、商品・貨幣・資本という経済形成にすっぽりと包摂されるとき、労働生活の分裂が生ずる。個々人の具体的労働が特殊化し、そのことで労働の分割に深化するが、他方で、もろもろの具体的労働の間から第三項排除効果によって産出される抽象的人間労働が分裂的に自立する。資本主義経済は、具体的労働と抽象的労働の分裂を固定するだけでなく、大規模に再生産する」(今村仁司「「経済的」労働神話」『日本読書新聞』一九八三年五月二日号)。

 栗本にせよ杉村にせよ、直接的な対象・材料に何を使用したにせよ、かれらの立論はあくまで労働の一般論、歴史貫通的な側面からのものであった。それにたいし今村は特殊歴史的な位相のはなしをしている。

 「経済的労働しか労働がないと仮定すれば、マルクスの展望は「労働の廃棄」論である。それは『ドイツ・イデオロギー』のテーマでもあった。労働の廃棄論の含意は、仕事をしないで純粋イデアに遊ぶ余暇論などとはちがって、人間のあらゆる活動が労働になること、またそのゆえにいかなる行為も経済労働たりえなくなることである」(今村、同前)。

 分裂し聳え立った抽象的労働を具体的労働が取り戻すことだけが語られているのではない。むしろ労働が、それと敵対する非労働的諸行為との対立を解消し、諸行為の海に再び吸収されてゆくことこそ経済的「労働の廃棄」の真の意味だろう。

 たしかに現実の経済的労働は、(今村特有の用語法での)「生産的労働」と「非生産的労働」とが特殊歴史的に変質し、(今村語での)「「非生産的労働」としての抽象的労働」は外部に分裂させられている。だが同じ現実の経済的労働は、労働になりえない非労働的諸行為の側から、すなわち「徒労の世界」からみるならまさに社会的に公認された行為として、特権的な地位を享受してもいるのである。

 労働の特権性を批判することは、つまりこのような三層構造の図で示される関係を隠蔽するようなア・プリオリな労働観に依拠した労働解釈を批判することである。諸行為の中である一部の行為だけが労働であるのは単に歴史的・社会的な事情によるのであって、自然的・物理的な事情とは無関係なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年2月12日 (日)

境界線と領域 (1)

「境界線と領域」全三回、2011年。「[一]長めのイントロ―不安定の境界」の部分。

境界線と領域 (1)

[一]長めのイントロ―不安定の境界

 「異なる文化から産業地域へ参入した者の間で生じるようなコミュニケーションの挫折は、エントロピー抑圧の一形態である(一世代かそこらでしばしば容易に克服されうるが)。しかし、その逆は成り立たない。すべてのエントロピー抑圧が単なるコミュニケーションの挫折に起因するわけではないからである。単なるコミュニケーションの挫折に起因せず、支配的な[言語]プールへの同化によっても、新参者の生まれつきの媒介言語を用いた新しい独立したプールの創造によっても癒されないエントロピー抑圧は、それ故一層悲劇的なものとなる」(アーネスト・ゲルナー、加藤節・監訳『民族とナショナリズム』一一三頁)。

 まずは以前、古い『イージーライダー』を思い出しながら観た「ドキュメント映画」?『激突死』の感想から。

 暴動の結果、組織された労働者、基幹産業、教育労働者らには手厚い防衛戦線が組まれていた。しかしこのドキュメントの主人公である一介の単独者、バーテンダーにはほとんどなにもなかったという。故郷「沖縄」という「民衆」の「共通の意識空間」からの疎外、つまりはみださざるをえなくなる。あえていえば地域住民の共通意識空間によって殺された『イージーライダー』の余所者たちのように。このドキュメントの主人公は「議事堂の鉄柵」という具体的な「硬くて大きい」ものを向こう側に立てることによってはじめて、この媒介をとおしてはじめて、もはや始原の「無垢の一致状態」ではなかった故郷という「共通の意識空間」に、再びつながる感覚をえようとしたのではないのか。

 はみだし者、「共通の意識空間」からのねじれ、距離。この距離を一挙に埋め合わせる、合体の試みのためには、「敵」としての「他の「共通の意識空間」」を必要とした。強大な敵の想定・仮構。「民衆」の「共通の意識空間」に素直にべったりと同一化できないとき、他の「共通の意識空間」との出会い・対抗という場面においてのみ、故郷の「民衆」の「共通の意識空間」へと還る・同一化が呼び覚まされ、可能となったのだろう。その「他の「共通の意識空間」」の象徴としての議事堂。

 「民族を、自分たちの意志の力で共同体として存続できる集団と定義するならば、われわれが海に投げ入れる定義の網は、あまりにも多くのものを捕獲してしまうであろう」(アーネスト・ゲルナー、同前、九一頁)。これは滝村隆一「固有の領域・領土」論(『アジア的国家と革命』など)での「結論からいえば、他と区別される<協同社会性の最大の範囲>が<民族>として規定されるのは、それが同時に直接・間接の<世界性>を獲得しているときである」、「この意味で他と区別される<協同社会性の最大の範囲>を<民族>たらしめる<世界性>―正確には<世界的空間性>―自体、一定の<歴史(的規定)性>をもっているということである」(『北一輝論』三二六―三二七頁)とも軌を一にしている。

 大澤真幸『ナショナリズムの由来』では「多文化主義は、諸文化が平和裡に共存しうる平坦な均質空間が存在しうるということを・・・当然の前提にしている」。だが「この前提の―多文化主義者にとっての―信憑性はどこから来るのか?」として、たとえば「多文化主義のフランスへの適用」を批判するE・トッドあたりとはまた違った論理が展開されている。ヘーゲルによる、カントの「物自体」とは「漂白された現象が」「現象の領域の彼方に投射されたことで得られる幻影だ」とするカント批判の構図をつかい、「これと同じことが、多文化主義にも妥当する」のだと。

 「多様な文化や民族が共存しうる普遍的な場Ⅹの存在可能性やそうした場の同一性・統一性は、個々の特殊な文化や民族共同体の同一性が―その特殊な内容を抜き去られた後に―投射されたものにほかならない。この意味で、多文化主義は、ナショナリズムにこそ依存している。多文化主義とは、言ってみれば、「ナショナリズムとしてのナショナリズム」である。多文化主義は、ただ、現に実現された国民的な均質空間を独断的に外部に拡張・投射したものに過ぎないのだ」(以上、大澤真幸『ナショナリズムの由来』六六七頁)。

 このあたりは「単なる相対主義」とベタな虚構の「実体化」との相補的構造の総体への批判として読める。単なる価値相対主義思想、「主体」の「自己相対化」を欠いた「単なる価値相対主義」には、それが容易に「主体」を超越化させることへの歯止めがない、ということなのだ。何度も書いてきたとおり、価値秩序の浮遊化状況を「実体などない」とするただの「相対主義」=「唯名論的」な「解体化」(この文脈でいえば「可能性」の論理)と、擬似的に「実体」を「実体化」させる「実体主義」=「概念を実体化して呼び寄せる」=「実念論的」な「求心化」(この文脈でいえばベタな「必然性」)との相補的構造そのものが問題なのだ。実体などないというただの相対化ではなく、実体じしんのとらえなおし。

 二〇〇五年、M&R研究会「大塚英志さん公開フォーラム」の準備用に『物語消滅論』を読んだとき、「世界像が「善と悪との対立」といった単純な構造に収斂されようとする状況」、「しかし、その複雑さと向かい合おうとしない怠惰さの表れとして、「物語」の単純さで世界を説明してしまおうという動きが急なようにぼくには思えます」、「イデオロギーを代行しはじめた『物語』にいかに抗していくのか」(以下、大塚からの引用はすべて『物語消滅論』より)というくだりなど、なんとなく、ああ、これは大塚にとっての「擬制の終焉」に相当するのかなと感じた。

 「近代以前への回帰」状況にたいして「物語化する社会を抑止するための、言ってしまえば社会的な技術としての文芸批評」を配置するという大塚の構図。これをあえて読みかえてやれば、眼前の「浮遊」状態の「複雑さ」に耐えられない「反動」(大塚のいう「近代以前への回帰」)とは、「太くて固いもの」や「手にとって触れそうな感触」への回帰志向、「望郷・里心」だとか、「本来の」だとか、わかりやすいストーリーに相当するだろう。以前の公開フォーラムでの、戦前から戦後に継続する「国民主体動員思想」、ボランティア思想を批判する中野敏男(『大塚久雄と丸山真男―動員、主体、戦争責任―』など)の視点と、中野への菅孝行らによる批判との間の境界線をどう読み解けるかの問題でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 4日 (水)

表三郎さん論文感想 (3)

表三郎さん論文感想 (3)

 『年誌』一二号、表三郎さん論文「いまこそ根源へ」の感想、というより、触発されて、また考えてみたことなど。以前のM&R研究会「表さん公開フォーラム」(加藤正ネタ)の感想も含む。

 こちらの論点は三つ
1、「フォイエルバッハ・テーゼ」解釈、「対象的活動」
2、アルチュセールの「偶然」性。「単なる主義」と「理論」と「客観性」
3、「類的存在」の扱い方

今回は「3」の部分。(「補」の部分はすべて以前の文章からの抜粋)

□3□、「類的存在」の扱い方

 「階級社会」も社会のスタイルのひとつ。「人類前史」も人類社会のひとつ。
 「類的存在」というカテゴリーには関係論がないから、その都度の歴史的社会に固有の独特の形態規定的性格を捕えきれない。そのため「ないものとあるものとの対比」という思考方法になりがち。「類的存在」そのものも媒介抜きに実体化されてしまいがち。

 「正常位」もそれじたいは「あれをこうしてこっちをなにして」等の変わったスタイルと同様、48分の1の変態的スタイルのひとつでしかないのだ。共同性が共同生活・・・と同様。

 「透明な媒介」も媒介のひとつ。媒介抜きのすっぴんではない。つまり「正常位」が普遍化するのではなく、48のすべてのスタイルが普遍性を獲得してゆくこと。労働とあらゆる諸行為も、貨幣と媒介一般も、同様だ。「類的存在」を目指すというのではなく、肝心なのはその「類的存在」そのもののスタイルなのだ。

 以下は昔の文章からの抜粋。

 つぎに「労働そのものの直接的測定が可能になる」「人と人との関係が透明に見通せる経済システム」についてですが、今村(仁司)さんとの対比で考えてみました。今村さんは「貨幣に物的に媒介される」という言い方で、「貨幣-物-媒介」をつなげることによって、その対極にあるはずの「透明共同体」をいわばまるはだかの、スッポンボンの直接性とでもいうべきものとイメージさせているようです。そのうえで、まるはだかの透明共同体の不可能性を語っています。つまり「貨幣がない-物がない-媒介がない」ということになり、それが「透明共同体」や「直接性」の意味内容とされるわけです。

 しかしぼくはこれは少し違うんじゃないかとおもいます。もちろん「透明共同体」や「直接性」をこのようなものと認めたうえで、今村さんとは逆に、その「透明共同体」や「直接性」を肯定する立場もあるでしょう。石塚さん、吉田さんとも、どちらかといえばそのような立場ともおもえます。しかし「透明」とまるはだかとは違うんじゃないだろうか。今村さんの「媒介」という言葉、あるいは廣松渉さんの「物象化」なり、栗本慎一郎さんなら「パンツ」ですか、それらはヒトにとって、いったいどのようなものなのか?資本制社会に特有なのか、階級社会に特有なのか、あるいは歴史貫通的、超歴史的なのか? このあたりは廣松理論にお詳しい石塚さん、吉田さんにお聞きしたいところです。宇野理論では「経済原則という実体が経済法則という形態を通して営まれる」といった理解もあります。そこで、この経済法則という形態が引きはがされることによって、はだかの経済原則なるものがあらわれる、ということにもなってくるのです。

 ぼくは廣松さんの「物象化」というのは、どのような人間社会にもついてまわるとおもいます。今村さんは「媒介」と「透明」とを両立不可能と考え、そのうえで「媒介」を選び、「透明共同体」の不可能性を語りました。また、この両立不可能を認めたうえで媒介と無関係の「透明共同体」をとる立場もあるでしょう。しかし、ばくは「透明な媒介」というのはありうる、両立可能だと考えます。貨幣も物なら労働証書も物。ただその透明度には質的な違いがある。透明なパンツを履くということは、スッポンボンのまるはだかとは全く別なのじゃないか。それと今村さんは「媒介」を主に貨幣で考えてますが、これは最低限、資本、それも個別資本ではなく、個別資本を越えた経済法則なり価値法則なりとして、私的な商品所有者の思惑を越えて社会的再生産過程にあらわれる「見えざる手」、「景気」として考えるべきだとおもいます。マルクスの労働証書も、労賃としての貨幣にひきよせて考えられ、資本としての貨幣のもつひろがりが生かされてないようです。もっともこの言い方では「純粋資本主義モデル」にとらわれすぎているかもしれませんが。

 それから「人々の社会的生産への責献が正しく社会的に評価されるシステム」ということについては、吉田さんも別の観点から指摘されてますが、やはり「正しい評価」ということに引っかかってしまいました。それでは、結局のところ既存の物理的な因果関係にもとづいた評価システムの枠組みにおさまってしまうのではないか。しかしさきのラクラウにもあるように、ヒトの行為こそ「閉鎖的なシステムのなかに位置していないので、意味の過剰をもっている」のであり、「社会に実在するすべてのものの究極的な非固定性を明らかにする」(ラクラウ)と言えないでしょうか。

 なにが労勧とみなされ、なにが無駄、徒労、趣味とみなされるのか? なにが使用価値とされ、生産物とされ、なにが廃棄物とされ、無用物とされるのか? なにが生産過程とされ、なにが消費過程、流通過程とされるのか? 境界線は確かにあるけれど、それは決して固定されたものではない。なにが単なる私的行為とされ、なにが社会的に公認される行為となるのか?(これは単独行動か、集団行動かという区別ではありません。)なにが私的行為とみなされ、なにが犯罪と社会的に認められるのか。なにが結果としての生産物に顔果関係をもつ行為とされ、なにが無駄な、無益な行弟とされるのか?ある社会では「祈祷」もまた生産に必要不可欠の行為とみなされていた。とするなら、現代の膨張する媒体費-広告・宣伝・流通費など-や軍事費なども、現代の「祈祷」とも考えられます。ちなみに『資本論』では流通費用、商業労働のあたりで、すでにすったもんだしているわけですが。石塚論文とは離れますが、ついでに言うなら「広告・宣伝費」や「軍事費」とくれば即、不生産的消費=再生産外的消費だとみなしたり、「贅沢」「無駄」「バブル」などの言葉をまるで常識どおりに使ったりする、マルクス経済学によくみられる傾向は本気で考えなおすべきでしょう。

 日常的に「社会に出る」とか「社会人になる」とかの言い方がありますよね。社会的に認知され、かつ価値形成的とされる労働行為。社会的に認められてはいるが、価値形成的ではないボランティア行為。そして社会に出たとはみなされない単なる私的行為とされるもの。たとえば「家事労働」とよばれている行為も、商品化されていないという理由だけからでも、資本制社会の評価システムでは評価しにくい行為でしょうが、その外側にも無駄、無用とよばれるさまざまな私的行為があります。労働は、それら労働になりえない非労働的諸行為の「徒労の世界」にたいして、社会的に公認された行為という特権を享受してもいるわけです。さすがに最近ではあまりみかけなくなってきましたが、マルクスのクーゲルマンヘの手紙-「どの国民も、もし一年とは言わず数週間でも労働をやめれば、死んでしまうであろう、ということは子供でもわかることです」-という類いの発言をいくら繰りかえしてみても、「労働」を閉鎖システムとする思考法から、脱けだすことは不可能でしょう。

 「関係の第一次性」の構え。「先立つスッピンのもの」を想定しない発想がデフォルトとなってくるのは七〇年代以降だとおもうが、廣松もその大枠のうちで受容された。「森羅万象の物象化論」の部分が、「現代思想」一般と同様に民衆の占入見の変化に合致していたのだ。オトコ連れ込んでたというたぐいと、「純真な」アイドルであることとが矛盾しなくなった時代。いかにも純朴そうな「リンゴのほっぺ」や「どんぐり眼」や「しわだらけの本物の働く男の手」のようなアイテムを、そもそも本来の「天然」としてでなく、スタイルのひとつとみる立場。これは「成熟」のある種の姿だろう。

 廣松では「特殊歴史性と超歴史性(歴史貫通性)」の区別という宇野経済学的発想は生かされていないようだ。価値(商品価値)についても、同時に「人間と自然の物質代謝の側面」じたい(あらゆる社会に通じる物象化)についても実体概念ではなく関係概念だとしているが、別の抽象度の問題なのにこの区別ははっきりしていない。『資本論の哲学』で特殊歴史的な商品や貨幣をあつかっても、あくまで独自の「四肢的存在構造」の例証のひとつとしてであり、商品や貨幣に固有の特殊歴史性を際立たせることに成功していないのだ。

(あ)廣松の人間観の特徴は「四肢的存在論」「事的世界観」にある。
(い)廣松のなにを評価するかといえば「四肢的存在論」「事的世界観」を評価する。
(う)この「四肢的存在論」「事的世界観」次元での「物象化」を、人間一般にとっての制度、媒介、規範、権力の問題とのつながりで考えてみたい。
(え)「四肢的存在論」にもとづいた廣松の「資本主義批判」、さらに階級社会一般に照応する事態の批判の試みは成功していない、あるいは不十分だ。
(お)この理由は「批判」が「四肢的存在論」にもとづいていたからではなく、資本主義の特殊歴史性の具体性に即した解明として不十分(上向しきれていない)ということである。
 あらゆる社会に通じる労働過程や「対象的活動」の解釈問題と読むなら「疎外論から物象化論へ」というのも、あまりに素朴に了解されすぎてきた「表現論」にたいして、歴史的、社会的に被媒介的な存在構造の論理、すなわちあらゆる社会に通じる物象化論を強調するためのフレーズだったと考えられる。

 六〇年代の廣松理論の「受容」のしかたとはべつの、七〇年代以降の世の中での廣松理論の楽しみどころというか、おもしろさは、『資本論』「商品論」からインスパイアされながらも「特殊歴史性」を突き抜けてしまったような部分、あらゆる社会に通じる労働過程まで実体概念でなく、関係概念として読み込んでしまう「協働」をキーワードとする「四肢的存在構造」の部分にあったのではないだろうか。あらゆる社会に通じる物象化と、資本主義的商品経済に特殊なそれとがごっちゃになってるのはデメリットだが、ともかく「労働過程」や「対象的活動」まで「共同主観的・歴史的な」「対自然的・間人間的な協働連関」と関係概念化したことが廣松のメリットだろう。

 マルクス価値論の廣松的評価、古典的実体観の批判とは、一面では(1)の次元での一九世紀的な近代一般のはなしだったが、(2)を経由させることでより現代的な問題意識と串刺しにされた。つまり(A)一九世紀の古典派的な実体観にたいし二〇世紀的(?)な(帝国主義時代以降とも第一次大戦以降ともいえるか)関係論を対置し、(B)そのさい問題設定の具体的な時代背景を抽象化した人間一般論としての「四肢的存在論」によりながら、(C)マルクスの近代批判を媒介に近代・資本制の原理を読み替え、批判した。オーソドックスなマルクス像から区別された二〇世紀的な問題関心、危機意識が導入(A)され、しかも『資本論』の読みかえという媒介項をとおす(C)ことで、具体的な時代背景と一般的な原理=哲学とが直結されがちな、大衆社会状況下のよるべなき「個」に定位した「主体性論」などの接近法とも区別(B)されたのだ。

→[補3]

************

[補3] 特殊歴史性と超歴史(歴史貫通)性

 マルクスの疎外論には二面。

(1)「対象的活動」の位相(「<自然>哲学」における疎外論)
吉本ふうにいえば「<歴史>哲学」におけるそれと区別された、「<自然>哲学」におけるそれ。
すなわち「本質的な、それゆえ不変の概念であり、社会がかわればかわるというふうにかんがえられてはいない」「疎外論」。新田滋いうところの「根源的位相での疎外」。「対象的活動」の論理。

→これは廣松物象化論では「共同主観的な対象的活動、歴史的プラクシスとして」(同前)まさに「対象的活動」の「主体」を「対自然的・間人間的」なものと膨らませることで初期マルクス「対象化」の論理じたいを『ドイツ・イデオロギー』へと繋げてゆく。もともと「協働」を鍵言葉とする四肢的存在構造の物象化論理へと収斂させてゆく。
人間の諸行為・諸活動をまるごと「協働」と考えている。

(2)「生産関係」の位相(「<歴史>哲学」における疎外論)
 「疎外論」のように主体が単独モデルでは、「類的本質」でも「抽象的一般的存在」でも歴史の動態は同一主体の遍歴史としか描けない。「疎外論」の対象的活動モデルは主体が単独モデルなのでもともと特殊歴史的状態を生産関係から展開できない。(註)「物象化論」の「協働」は社会関係(生産関係、階級)を含む「複数主体モデル」なので、「社会関係」が入ることで、すなわち各種形態=スタイルをとる生産関係、階級対立の位相が導入されることで、特殊歴史的各スタイルの差異を示す視座が獲得できた。ただし「必然性」の論理、「確率変動」による廣松流の「確変・構造変動論」(いうならば「CR唯物史観」)はまた別のはなしだ。

で、(1)、(2)のどちらについても、主体が単独モデルの「疎外論」の論理は「複数主体モデル」の物象化論の問題設定上(プロブレマティーク)で十全に展開できると考えてます(「断絶」説でも「連続」説でもかまわないけれど。「疎外論」に固有で、「物象化論」が取りこぼした足りないものはないだろう)。

 「人間と自然との過程」や「目的充足過程」などは、いわばヒトの行為の一般規定とでもいうべきものだから、労働の規定がこれだけでは、あらゆる行為一般が労働になってしまうのは当然だ。特殊歴史的なカテゴリーとされる労働を規定するには、社会的公認や評価、社会的合意形成の問題抜きには不可能だろう。そのためにはロビンソン・クルーソーふうにも解釈できる総労働・代表単数型の『資本論』での労働過程モデルよりも、類と個、公と私の分離、対立といった初期マルクスによくみられた問題設定の場面のほうがよりイメージしやすいかもしれない。

 類と個の一致する状態なるものを想定するならば、そこではあらゆる行為がそのまま社会的に公認されたものでもあるわけで、あらゆる行為が「労働」となるともいえるし、「労働」が、その他の諸行為との関係で持つ特権がなくなるわけだから「労働」が消滅するともいえるだろう。この状態こそ、文字どおり「人間のあらゆる行為が実は労働」となる世界のはずだ。「現実の個体的な人間が・・・・個体的な人間でありながら、その経験的生活、その個人的労働、その個人的諸関係のなかで、類的存在となったとき、・・・・固有の力を社会的な力として認識し組織し、したがって社会的な力をもはや政治的な力というかたちでじぶんから分離しない」(『ユダヤ人問題』)というわけだ。これはとりあえずは想像力のはなしだ。

 階級社会とよばれる世界では、一般に類と個、公と私の対立、分離がいえるが、特に資本制社会では社会的な評価、合意形成が、もっぱら貨幣による商品の購買というかたちに限定しておこなわれている。購買というアテストをクリアしたものだけが社会的な有用物、生産物とされるのだ。そこでは諸行為のなかで賃労働だけが社会的に公認された行為としてそびえたつ。そして歴史的な意味でも、社会的人間の歴史的存在の連鎖のうちにリンクされるのだ。つまり「賃労働」は、資本制社会に独特な手順を経て「抽象的人間労働」としても認められるのである。荘司論文でもとりあげられていた今村仁司『近代の労働観』の「公的承認」の問題も「承認願望は、あくまでも労働者個々に帰属する精神」(荘司、八一頁)であると同時に、単に個々人の内面だけではすまない。この承認の手順の問題を抜きにはかたれないのだ。

 価値は貨幣として購買し、個別資本として運動し、さらに個々の経済的人格を離れ、個別資本の力を構造化し、不均衡を均衡化する見えざる手、すなわち景気として、最終的に諸行為のうちから労働を選抜し、尺度し、あらゆる諸行為の間に労働/非労働の境界を引いてゆく。詳しくは大昔に書いた「労働の特権性批判」(『季節』一〇号)、「「透明な媒介」は可能か」(「MRレビュー」二号)を参照、なのだが、これこそかつての今村の(『労働のオントロギー』などでの)「もろもろの具体的労働の間から」「分裂的に自立する」姿での抽象的人間労働というものだろう。今村の抽象的人間労働、非対象化活動、アソシアシオン労働は、ようするに資本制社会での類的紐帯、価値、媒介である。乱暴ないいかただがこれらはすべて等号でつながるのだ。

 そしてこの分裂的に自立した抽象的人間労働がふたたび着地すべき場所は、具体的労働ではなく、さらにその下方、あらゆる行為一般の地平なのだ。ただし今村もマルクスの「透明共同体」にたいしては「生産系の世界を尺度する」媒介を貨幣か、せいぜい個別資本で考えているようだが、媒介はその最高次の場面で、景気という見えざる手の場面で考えるべきだ。

 すべての社会状態に共通するような人間の物質代謝(経済原則)は、資本制社会では売買行為など商品経済に固有な姿(経済法則)で営まれるのだという宇野の基本命題がある。この命題を逆に法則の側から強引に押しひろげてみる。つまり、法則や形態は原則の実現態で、かつ原則がそれ自身ハダカのまま現れることはできないと考えれば、現代資本主義的な欠落感、空虚感をテコにして正常と変態、自然と人工、直接性と間接性、などなどの単純な二分法の発想の転換がはかれるのではないか。『搾取される身体性』の「あらゆる行為が<労働力>再生産労働」というくくりかたは、むしろ古典的なマルクス解釈のままの論理を新しい事実へ敷衍・適用するだけの、後ろむきの守りの方法のようにみえてしまうのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 1日 (日)

Emotional Weather Report 2009/12-2011/12

Emotional Weather Report 2009/12-2011/12

  • | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2011年12月28日 (水)

    表三郎さん論文感想 (2)

    表三郎さん論文感想 (2)

     ティム・バックリー『グッバイ・アンド・ハロー』(一九六七年)より、冒頭と終わりの部分。

    The antique people are down in the dungeons
    Run by machines and afraid of the tax
    Their heads in the grave and their hands on their eyes
    Hauling their hearts around circular tracks
    Pretending forever their masquerade towers
    Are not really riddled with widening cracks
    And I wave goodbye to iron
    And smile hello to the air

    (中略)

    The antique people are fading out slowly
    Like newspapers flaming in mind suicide
    Godless and sexless directionless loons
    Their sham sandcastles dissolve in the tide
    They put on their deathmasks and compromise daily
    The new children will live for the elders have died
    And I wave goodbye to America
    And smile hello to the world

    ------Tim Buckley:Goodbye & Hello

     一九六〇年代の Antique People 対 New Children。
     もっとも、ティム・バックリーじしんはとっくの昔に早死にしてしまったのだけれど。

    ****

     先日、別の関連で読んだ村田純一『岩波テキストブックス 技術の哲学』のなかで、技術と社会にかんして、S・ウールガーとK・グリントの「「非本質主義」のラディカリズム」の「懐疑主義的観点」というのが紹介されていた。とても興味ぶかかったのは、それが「フェミニズムの観点から」という章の中でだったこと。

     「家事労働」だとか「シャドウ・ワーク」だとかの言葉が(言い回しは別にして)流通しやすくなっていったというのは、旧来の古典的なわかりやすい「常識」的な労働観とそれに依拠した「概念規定」が通用しなくなってきた時代の反映であることに間違いないだろう。

     かつてなら、確かに時代背景を考慮してやれば、世間の「贅肉」が薄かった時代には、何事もスッキリ・はっきり・絵に描いたような見た目どおりの物事だけを扱っていればよかったのかもしれないが(「労働」でいえば「汗仕事」や「働く男のしわだらけの手」のような)。

     しかしすでに、それでは「労働」に限らず、何事についても・世界のすべての場面で、世界をカバーしきれなくなってしまっているのだ。あらゆる場面で、古い「常識」に依拠した「概念規定」が通用しなくなってきた時代、ということだ。

     「概念規定」じたいが重要なのではなく、古い「概念」を支えている古い「常識」じたいが通用しなくなってきているのだ。言葉にまとわりついた「思い入れ」を取り除く作業のためにも言葉の問題はさけてはとおれない。

     冒頭の Tim Buckley いうところの「古代人」たちが、夢の中でまどろんでいる暖かなベッド(=温床)としての「常識」をブチ壊す必要。共通の常識が通用しないのだから、概念規定からやり直さなければならないのだ。

    ****

     『年誌』一二号、表三郎さん論文「いまこそ根源へ」の感想、というより、触発されて、また考えてみたことなど。以前のM&R研究会「表さん公開フォーラム」(加藤正ネタ)の感想も含む。

     こちらの論点は三つ
    1、「フォイエルバッハ・テーゼ」解釈、「対象的活動」
    2、アルチュセールの「偶然」性。「単なる主義」と「理論」と「客観性」
    3、「類的存在」の扱い方

    今回は「2」の部分。(「補」の部分はすべて以前の文章からの抜粋)

    □2□、アルチュセールのソシュール批判。「単なる主義」と「理論」と「客観性」について。

    ●客観性=「理論」をどこにおくか。実念論(ベタな実感への回帰)と唯名論(大月隆寛のいう意味での「八〇年代出自の単なる価値相対主義思想」、それも「自己相対化‐つまり「ツッコミ」」を欠いたそれ。80年代出自のちゃらちゃらした相対論)との相補的構造の批判(=どっちもダメだろ)。
     何度も書いてきたとおり、価値秩序の浮遊化状況を「実体などない」とするただの「相対主義」=「唯名論的」な「解体化」(この文脈でいえば「可能性」の論理)と、擬似的に「実体」を「実体化」させる「実体主義」=「概念を実体化して呼び寄せる」=「実念論的」な「求心化」(この文脈でいえばベタな「必然性」)との相補的構造そのものが問題なのだ。「レヴィ=ストロースの形式主義は悪い形式主義である」(アルチュセール)。ちなみに前回吉田傑俊さん公開フォーラム「戸坂潤の哲学」での「形態」と「形式」とのはなしも、アルチュセールの「必然性」とレヴィ=ストロースの「可能性」とに関係してくる。実体などないというただの相対化ではなく、実体じしんのとらえなおし。「確率変動」による廣松流の「確変・構造変動論」(いうならば「CR唯物史観」)と同様、アルチュセールが、絵にかいたようにありがちなこの相補的構造の全体を問題にしていたことは確かだ。

    ●「偶然の出会い」の唯物論、「通り魔」な感じ(あまりリスキーな感じはしないが「リスク社会」でも可)。
     今村仁司『アルチュセール』(『アルチュセール全哲学』と改題され講談社学術文庫化された)で簡潔にまとめられている「アルチュセールとレヴィ=ストロースとの争点」。「「思考のモデル」論なのか「社会的全体性の概念構築」なのか、が争われているのである。この対立の含蓄について、アルチュセールは「可能性」の認識が課題なのか、「必然性」の認識が課題なのか、という争点にまとめている」(今村、学術文庫版、二五六頁)。「可能性」か「必然性」かなら、アルチュセールは「必然性」の側なのだ。アルチュセールの「偶然」は、「必然性」に対比させられているのではない。アルチュセールの「偶然」は、無垢な「必然性」にとっての必然的な回り道・特殊歴史的なスタイルと読むべき。
     戦後復興と高度成長の「安定した」幻想を、正しく「不安定」の「大地」のうえに置きなおしてやる作業=70年代論。

    ●「問いの構造(プロブレマティック)」-「方法模写説」
     「偶然の出会い」の唯物論が、現在に特有のスタイルを扱ったものだとすれば、「問いの構造(プロブレマティック)」のはなしは、いつの時代にも妥当するような「歴史貫通的」なものだ。M&R研・公開フォーラム伊吹さんレジメでは「マルクスの認識論的切断--徴候的読解」のあたりで、「労働」に関する「古典派経済学」とマルクスとの各々の「プロブレマティック」が説明されていた。
     「偶然の出会い」の唯物論が「当たり前」の顔をして出ていることが可能となった時代だからこそ、根本的な洗い直し作業、歴史貫通的な「問いの構造(プロブレマティック)」からの根本的な洗い直し作業も、ようやく、誰にとっても「必要=可能」となってきたのだ。(→[補1](前回掲載))

    ●「疎外論から物象化論へ」
     「問いの構造(プロブレマティック)」ということでは、かつて流行した「疎外論から物象化論へ」というのもあった。

    →[補2]

     人間の生命活動を「意識している生命活動」(「第一草稿」)とした初期マルクス「対象的活動」の論理。田中吉六ふう解釈なら「受苦的(leidend)=情熱的存在(leidenschaftlich)」(「第三草稿」)。「受苦的」(にもかかわらずではなく)「受苦的」であるがゆえに「情熱的」存在を、ともかく本質論として展開していることを評価する。
     労働、対象的活動のいわば一般論としての疎外論。人間一般の存在様式としての自己疎外=対象的活動。これは吉本隆明が『カール・マルクス』で『経哲草稿』から「人間の普遍性は実践的には(<自然>や<社会>への働きかけという意味では―註)まさに(一)直接的生活手段である自然についても、(二)彼の生活活動の材料、対象、道具である自然についても、全自然を彼の非有機的肉体とするという、その普遍性のなかにあらわれる」などのフレーズをひきながらいう「マルクスの<自然>哲学の本質にある<疎外>または<自己疎外>の概念」に近いだろう。吉本から引用すれば「マルクスの<自然>哲学のなかに人間と自然の相互関係を表象するものとしてあらわれる<疎外>または<自己疎外>の概念は、本質的な、それゆえ不変の概念であり、社会がかわればかわるというふうにかんがえられてはいない」(『吉本隆明全著作集』一二巻、一一〇頁)。(この位相では「外化と私有財産は同じことではない」わけだ)。
     これらと「生産手段生産部門」をそれじしんとして取り出すことができた後期マルクスとは媒介性の論理で繋がっている。そして「所与を単なる所与以外の或るもの(etwas Anderes)として、所与以上の或るもの(etwas Mehr)として意識する」廣松ふう物象化論とも。
     廣松では「この現実の世界は、かの共同主観的・歴史的な「対象的活動」によって拓けるのであるから、認識論は、もはや「意識の命題」を単に放棄するという域をこえて、同時に存在論としての権利を保有しつつ、歴史的実践の構造を定礎する”歴史の哲学”の予備門として、その一契機となる」(廣松『世界の共同主観的存在構造』学術文庫版、三七頁)。廣松からマルクスの歴史的協働性の問題をとると、廣松の独自性は生きてこない。熊野純彦による学術文庫版『世界の共同主観的存在構造』の「解説」を借用するなら「廣松にあってはしかし、その概念は当初から、「自然に対する、かつ相互的な」活動としての労働(マルクス)、本源的に(ひろい意味での)協働としてある人間実践という原型とむすびついていた」(同前、四〇五頁)のだから。

    *****

    [補2] 疎外論と物象化論

    ●「永遠の相」の「疎外」―渡辺論文感想
     理論小委員会であつかった諸論文のうちで、渡辺数馬論文(『理論戦線』八号、一九六九)は「永遠の相」の「疎外」のはなしのあたりがおもしろかった。これは廣松に固有の「森羅万象の物象化」論や吉本隆明の、マルクスの「人間と<自然>との関係としての<自然>哲学」における「疎外」論などと関係づけ整理できる気がした。
     以下、ヘーゲルの場合「自己疎外を問題とする限り」「何らかの主体概念が成立して自己疎外が論理的に演繹される」(七五頁)、またヘーゲルでは「精神」が類的本質、「主体=実体」(七二頁)あたりをベースに、自分流に読み込んでみた。

     ①もともとヘーゲルの「疎外」の重層性。渡辺論文(七二‐七三頁)に引用された部分だけでも、二つのニュアンスが読み取れる。
    (a)主体=実体(「精神」)の「世界史の舞台」上の歴史的運動の過程。始原の一体性―「分裂せる状態」―再び一体化。その一過程としての「疎外された状態」。
    (b)より「精神」活動の一般的特長に近いもの。(「精神は己れにとって他のもの、すなわち精神の自己の対象となり、そしてこの他在を止揚する運動である。・・・この運動の中で、直接的なもの、経験されていないもの、すなわち抽象的なものが・・・己れを疎外し、ついでこの疎外が己れに還帰し、この様にしていまや初めてそれの現実性と真理性においてあらわされるとともに、また意識の自分の所有ともなるのである」『精神現象学』)(七二頁)
     ②「ゴスペルの貴公子」から「ソウル、R&Bのプリンス」へのサム・クック的ターンのようでもあるフォイエルバッハによるヘーゲルの「逆転」を経由し、渡辺は、初期マルクスでは「疎外」の論理の運動主体・「類的存在」は「協働をなす存在」(ヘス)(七五頁)、「自己対象化活動」(七七頁)という現実性となる、これがヘーゲルとの違いなのだとする。
     ヘーゲルの「類的本質」の「精神」を「労働」にしたうえでも、マルクスでも二つのニュアンスが読み取れるのではないか。
    (a)「経済的社会的諸関係=政治的法的諸関係とその具体的定在を「類的存在」としての人間の自己疎外形態として分析しようとしたのであり、そして自己疎外の克服もまた内的必然性として措定せんとした」(七六頁)
    人間の自己活動=労働それ自体が内在的に必然的な「自己疎外」の過程であり、かかる自己活動=労働の所産として、いわゆる「国民経済学的カテゴリ」を導こうとした。即ち労働を「疎外」において把握し、「貨幣」「賃金」「資本」や「私有財産」等を基礎づける」。「そして疎外を生ぜしめる労働それ自身が、労働がその主体の向自化として現われ、主体の疎外そのものをも揚棄し、自己を回復するのも労働に他ならない」(七六頁)。「類的存在」の歴史的運動の所産としての「疎外された状態」。否定的現実としての疎外された状態。「自己活動」の所産としての歴史的状態。主体は「類」としての「人類」なのだろう。(七六頁)の渡辺によるマルクスの要約でいえば1、3、4。
    (b)労働、対象的活動のいわば一般論。(七六頁)の渡辺によるマルクスの要約でいえば2。人間一般の存在様式としての自己疎外=対象的活動。これは吉本隆明『カール・マルクス』でいう「マルクスの<自然>哲学の本質にある<疎外>または<自己疎外>の概念」。吉本から引用すれば「マルクスの<自然>哲学のなかに人間と自然の相互関係を表象するものとしてあらわれる<疎外>または<自己疎外>の概念は、本質的な、それゆえ不変の概念であり、社会がかわればかわるというふうにかんがえられてはいない」(吉本隆明全著作集 0、一一〇頁)。
     ③いずれにせよ「疎外論」の対象的活動モデルは、「主体」が「類」としての人類、あるいはその「代表単数」であるにせよ、大きいにせよ小さいにせよ、単独・一匹モデルだ。渡辺もいうように「ここでのマルクスの立場は」「いかに類的社会=共同体社会における労働を分析=解明しようとも、現実の「資本主義社会」の「労働生産物の社会的形態」をそこから演繹できない限り、「疎外された労働」そのものの分析は出来ないし、ひいては人間を類的存在として規定づけても、現実から未来を通時的に貫通する人間の社会的存在を規定したことにはならない」(七九‐八〇頁) ことになる。
     ④上記(b)系列の側面について廣松は「主体」を「単独モデル」から「社会関係モデル」に変更した。廣松はこの対自然・対象的活動の「単独モデル」に社会関係を導入することで、対象的活動の論理を「協働」の論理にした。→「間社会的・対自然的」「協働」。これが吉本のいう「人間と<自然>との関係としての<自然>哲学」の土俵における物象化論=森羅万象の物象化論=協働の論理、四肢的存在構造論だろう。

    ●「対象的活動」と「協働」―自然哲学としての疎外―吉本と廣松
    (上記(b)系列の側面。イントロ1の(あ)(い)(う)のはなし)
     廣松では「この現実の世界は、かの共同主観的・歴史的な「対象的活動」によって拓けるのであるから、認識論は、もはや「意識の命題」を単に放棄するという域をこえて、同時に存在論としての権利を保有しつつ、歴史的実践の構造を定礎する”歴史の哲学”の予備門として、その一契機となる」(廣松『世界の共同主観的存在構造』学術文庫版、三七頁)。廣松からマルクスの歴史的協働性の問題をとると、廣松の独自性は生きてこない。熊野純彦による『世界の共同主観的存在構造』の「解説」を借用するなら「廣松にあってはしかし、その概念は当初から、「自然に対する、かつ相互的な」活動としての労働(マルクス)、本源的に(ひろい意味での)協働としてある人間実践という原型とむすびついていた」(『世界の共同主観的存在構造』、四〇五頁)のだから。
     これは、過去の「直接性」より出で将来の「直接性」へと還ることを根拠に媒介性、間接性をそのものとして取り扱うことができなかった単純な下部構造還元主義(「消費手段」より出で「消費手段」へと還ることを根拠に「生産手段」をそのものとして取り扱うことができなかったアダム・スミスの、マルクスいうところの「V+Mのドクマ」と同じこと)への批判でもあった。もちろん後期マルクスじしんは再生産表式論で「第二部門」を、すなわち直接喰えない媒介性、間接性をそのものとして取り扱っていた。
     いっぽう廣松でも、まさに「対象的活動」の「主体」を「対自然的・間人間的」なものと膨らませることで初期マルクス「対象化」の論理じたいを『ドイツ・イデオロギー』へと繋げてゆく。もともと「協働」を鍵言葉とする「四肢的存在構造」の「物象化」論理へと収斂させてゆく。人間の諸行為・諸活動をまるごと「協働」と考えている。「労働」をいったん「あらゆる諸行為」の地平へとひきずりおろす。廣松は哺乳類の特徴を明らかにするために人間を解剖してるようなものだから、廣松「協働」のロジックも、森羅万象、歴史的・社会的あらゆる場面の登場人物にすべて等しく、「賃金奴隷」も「資本主義者」もともに等しく「遠慮するなよ!/気どってんじゃねえよ!」とばかりに、人間存在論をいわば「最低人」の地平へといったんひきずりおろす、その小気味よさが七〇年代世間の風景にフィットしていた。
     廣松の文章はだから「はっぴいえんど」かけながら読めたのだ。詩心ゼロの文体。立ち位置の必然性のなさ。読者に、うっとり感情移入させない主人公設定(学知的立場?)。廣松のこの部分こそ積極的に評価されるべきだったのだ。ちなみにフランスの「人間主義批判」の流れは、平岡正明による自立小僧批判、吉本流の<私>批判の文脈の延長で受けとめられるだろう。(「風景論」で有名な松田政男『風景の死滅』中の廣松とのエピソード(交通事故の)もおもしろかった)。

    ●「生産関係」の位相―廣松の「実体観」と宇野の「形態論」
    (上記(a)系列の側面。イントロの(え)(お)のはなし)
     特殊歴史性の固有の位相はなくならない。人間の四肢的存在構造論の上に、歴史的、資本主義に固有な物神性・物象化の論理を再生しなければならない。遍在する「戦争」についても、メタモルフォーゼした「労働」「生産」についても、人間主体についても同様だ。現在を遍在する「戦争」状態(西谷修)といっても、固有の戦争の論理、濃い戦争と薄い戦争、の問題は当然残る。
     「森羅万象の物象化」というのは一般論だが、さらに廣松では「対自然的・間人間的な協働連関の動態を、そのポテンツに即して生産力、その共時的関連に即して生産関係と呼ぶ」(「歴史法則論の問題論的構制」『廣松渉著作集』一一巻、五六〇頁)という位相もある。これは宇野の(直接には資本主義=狭義の経済学だけだったが)特殊歴史的形態(法則=階級関係)によって、超歴史的経済原則(実体)としての再生産過程が営まれるという論理につうじる。
     実体化されがちな宇野の「経済原則」の批判には廣松の関係論的「実体観」が使えるだろう。これは逆に本質還元で事足れり、となりがちな廣松の(『資本論の哲学』が主に『資本論』の「価値形態」の場面を対象にしながらも、資本制商品経済の固有の側面というより、そこに四肢的存在構造を確認する、摘出することのほうに比重がおかれていたように)批判には宇野の特殊歴史的人間関係としての「価値形態」が使えるということでもある。広義の経済の枠組みに広げてみれば、特殊歴史的諸関係(諸生産関係)、さまざまな社会スタイルによって常に社会的再生産が営まれているとなるだろう。すなわち生産関係のスタイルは変わってきたし森羅万象すべてにおなじわけではないのだ。
     マルクスでいえば『ドイツ・イデオロギー』における交通形態―生産関係の導入。マルクスでも廣松でも、「主体」が社会化されることで上記(a)系列のはなしは、諸生産関係のスタイル、様式の問題となった。先の渡辺論文でも「フォイエルバッハ・テーゼ」を使って言われているように「人間的本質はなにも個々の個人に内在する抽象体ではないのであって(抽象体であるならば抽象的本質=主体ということになる)人間的本質は「その現実において」いかなる時代にあっても歴史貫通的に(資本主義社会であっても、封建制社会であっても)「社会的諸関係の総体」なのである」(八三‐八四頁)。
     主体が単独モデルでは、「類的本質」でも「抽象的一般的存在」でも歴史の動態は同一主体の遍歴史としか描けない。「疎外論」の対象的活動モデルは主体が単独モデルなのでもともと特殊歴史的状態を生産関係から展開できない。「物象化論」の「協働」は社会関係(生産関係、階級)含む「複数主体モデル」なので、「社会関係」が入ることで、すなわち各種形態=スタイルをとる生産関係、階級対立の位相が導入されることで、特殊歴史的各スタイルの差異を示す視座が獲得できた。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2011年11月 1日 (火)

    表三郎さん論文感想 (1)

     『年誌』一二号、表三郎さん論文「いまこそ根源へ」の感想、というより、触発されて、また考えてみたことなど。以前のM&R研究会「表さん公開フォーラム」(加藤正ネタ)の感想も含む。

     こちらの論点は三つ
    1、「フォイエルバッハ・テーゼ」解釈、「対象的活動」
    2、アルチュセールの「偶然」性。「単なる主義」と「理論」と「客観性」
    3、「類的存在」の扱い方

    今回は「1」の部分。

    □1□、「フォイエルバッハ・テーゼ」解釈。「対象的活動」としての観念、認識活動

     表さんの「マルクスのいう対象的活動とは、したがって、主体が対象に働きかけることではなく、いま述べた主客一元論に基づいて、対象となった活動であり、活動する対象のことである」(表さん『年誌』一二号、183頁)。これは納得。

     だが、これは、ここまでなら、田中吉六あたりの解釈でも普通にそうだろう。
    「とらえる」活動そのもの・「認識活動」そのものも含めて考えているかどうかがいわば分かれ目だ。

     「フォイエルバッハ・テーゼ」解釈、加藤正そのものから引用。「対象を主観的に把握するという提唱は、自然的対象とは区別された人間的活動そのものを、現実にあるがままとして、対象的活動として、認識すべきことを言っているのである。しかも人間の活動を対象的に執えることは、それを実践的な働きかけの対象として執えることと別のことではない」(加藤正「「フォイエルバッハについて」第一テーゼの一解釈」)。
     確かに、「しかも・・」以下の部分まで好意的に読み込んでやれば、必ずしも、平面的なただの「「認識」の「対象領域の拡張」」の論理だけでおさまりきらないものもある。

     これが、たとえば降旗節雄あたりの解釈では、単なる「「認識」の「対象領域の拡張」」一般に平面化されてしまう。
     加藤正『弁証法の探求』への降旗節雄の解説から引用すれば、「フォイエルバッハにいたるまでの全ての唯物論は、自然を対象としたのに対して、マルクスのそれは人間ないし社会を対象とするということである」、「人間の社会的実践活動をも対象とする唯物論――これをマルクスは対象を主体的にとらえる唯物論と言ったのであって、わかりやすく言えば、自然を対象とする自然科学に対して、社会を対象とする社会科学ないし歴史哲学を意味する」。

     この解釈では「「粗忽長屋」的問い」こそが欠落しているのだ。
     熊さん、行き倒れの死体をみて、「ああ、ほんとに死んでる。だけど八っあん、ここで死んでいるのは確かに俺だが、するとそれを観ている俺はいったい何だ」(「粗忽長屋」)
     「「認識」の「対象」は確かに「対象的活動」だが、すると「認識」という「対象的活動」そのものはいったい何だ」という垂直的問いが欠落しているのだ。

     一般に、「単に、認識主体の対象領域の拡張だ」というだけの「フォイエルバッハ・テーゼ」解釈(降旗はそうだったとおもう)。これでは認識主体そのもの、「科学」そのものにたいする「固定観念」は安泰のままだ。
     M&R研究会「表さん公開フォーラム」での、Oさん(表さんではなく別のOさん)流の「科学の客観性」の議論、フォイエルバッハ・テーゼ解釈も、単に、認識主体の対象領域の拡張だ、というものだった。それでは認識主体そのもの、「科学」そのものにたいする「固定観念」は安泰のままであり、「科学」の無謬性と・その背後の前提としての「プロレタリア」なり「革命的知識人」なりとの一元論的な構図には手をつけられない。昔ながらの「「科学」と「プロレタリア」という構図じたいを根底から批判するものではなく、実質、「科学」とペアを組むもう一方を「プロレタリア」から「革命的知識人」なりに置き換えただけだったのではないか。「科学」にたいする「最終審級」としての「プロレタリア」という構図そのものは変らず、「最終審級」の場所に「革命的知識人」なりを置き換えただけではないいのか。
    →これは、2、アルチュセール・「理論と主義」の関係につながる。

     マルクスの「対象的活動」「協働」観などから考える必要があるだろう。いうならば「感性」も「自然」も「希少性」も「効用」もすべて「対象的活動」や「協働」の論理から取りあつかうのが、もともとマルクスの労働観だったはずなのだから。「対象的活動」「実践」「協働」。人間の諸行為・諸活動のなかに「対象的活動」や「協働」とそうでないのとがあるというはなしのまえに、人間の諸行為・諸活動をまるごと「協働」と考えたマルクス人間存在論があるのだと(これは田中吉六流の解釈か)。
    →3、「類的存在」の扱い方につながる。

     「「理論」と「実践」」というのも、この「理論」を抽象化し観念一般、認識活動一般としてゆけば、「実践」も抽象化され、人間活動としての対象的活動一般となる。
     結局「「理論」の「党派性」」とかは、「「認識活動」一般の「対象的活動」的性格」ということの(うっとりできるかは別にして)「浪漫的な表現」でしかない、以上でも以下でもない、ということになるだろう。
     そもそも「疎外論」流の「対象的活動論」そのものの「主体」が、「代表単数」であれ、「総人類」であれ、内部に社会関係を位置づけられないつくりになってしまっているのだから。

    ●[補1] 「対象模写説」と「方法模写説」

     「科学としての経済学」を「何人にも明らかな」ものと定立した宇野は、他方では『資本論』のマルクスによるアリストテレス評価、すなわちアリストテレスが「彼の生活した社会の歴史的な柵に妨げられて、この同等性関係なるものはいったい”真実には”何であるかを見出すことはできなかった」とする評価を(この論証を価値形態の場面でおこなうのか生産過程論でおこなうのかで相違を認めながらも)肯定する立場をとっていた。宇野の「方法模写説」は、社会科学と自然科学との皮相的な区分などにではなく、観測者たる「われわれ」=「何人」の通時・共時的な構造を把握する方向へと進化されねばならない。

     アリストテレスとかれの生活した社会には、かれの認識の対象たるべき労働力商品や、資本の生産過程の社会的な形成がみられなかった、ゆえにアリストテレスには商品相互の「同等性関係」の「真実」がなんであるかをみいだすことができなかった、と、これでは単に「対象模写説」が語られているだけだろう。

     そうではない。この事態は歴史的協働をつうじて形成されたアリストテレスとその社会における「認識主観」の視野に「人間労働一般」なるカテゴリーが入りこめなかったことから、すなわち対象の措定じたいが当該の社会に特有な形態をとった社会的な共同的営為であることから、説明されなければ「方法模写説」にならない。観測者たる「われわれ」は、非資本制諸社会の生産過程についても、労働の二重的性格を確認することができる。だが、それはなにかあらかじめ設定されたモデル状態の社会見本から他の諸社会を截断してゆくという意味ではない。

     「単純労働、社会的平均労働に還元される労働力」は、マルクスが「抽象的人間労働」をみいだすことを可能にした時代背景、という意味では「前提」である。しかしマルクス労働価値説そのものは「単純労働」(あるいはそれに還元される具体的労働)量による価値論ではないだろう。単純労働量、社会的平均労働量を当該の生産物の価値とするというのは、現在有効とはまったくおもえない。というより、現在のみならずマルクスの時代にも有効ではなかった。やはり古典派経済学の労働価値説と区別されるマルクスの労働価値説は「抽象的人間労働」だろう、と考える。ただマルクスが想定していたような、「19世紀イギリスの軽工業的な産業構造」なら「単純労働」でやっても「抽象的人間労働」でやっても、具体的な説明の場面ではたいして違わなかったろう。「単純労働」で説明しても不都合はそれほどなかったろう。手に職を持たない非熟練賃金労働者の具体的有用労働の単純化という事態は、奴隷労働の社会や、職人の熟練労働の時代には不可能だった、「抽象的人間労働」という概念を見出すことを可能にした。けれどそこで「抽象的人間労働」は「単純労働」(単純化、抽象化された具体的労働)と、事実上、区別がつきにくかった。同一視されがちだった。

     サービス、流通、情報産業の肥大化という時代になってようやく、「単純化、抽象化された具体的労働」(単純労働)と「抽象的人間労働」とのきちんとした区別の必要性がでてくる。簡単な説明のためだとしても「単純労働」による説明は使いにくくなってくる。でもこのことから「労働価値説」の無効をいうのは少しもったいない。貨幣で測定される抽象的労働量と貨幣で切り出される具体的労働の範囲。「労働」を読み替えてやれば、「単純労働」量ではなく「抽象的人間労働」量による「労働価値説」なら、「単純労働」と「抽象的人間労働」との区別がつきやすくなっているぶんだけ、現在のほうが、普通になりたつともいえる。それが「問いの構造(プロブレマティック)」というものだろう。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2011年9月 1日 (木)

    7月の続き。

    7月の続き。
    レジメ:アーネスト・ゲルナー(加藤節・監訳)『民族とナショナリズム』「第六章 産業社会における社会的エントロピーと平等」

    以下、ほぼ抜粋・要約のみ。こちらの感想は末尾と前回分に。

    ****抜粋・要約*****

    ■第六章 産業社会における社会的エントロピーと平等

    農耕社会から産業社会への移行は、一種のエントロピー効果を、すなわち決まった様式から意図的な無定型性への転換を伴う

                   ↓

    ●農耕社会=
    その相対的に固定的な専門化と、地域、血縁、職業そして位階に基づく恒久的な集団分類
    下位文化はこうした構造的差異を強調かつ強化するが、下位文化が、社会内部での文化的相違を声高に主張したり目立たせることによって、社会全体の機能を妨害することは決してない。まったくその逆である。社会は文化的差異を不快なものとみなすどころか、それを表現し承認することが最も相応しく適切なことどえあると心得ている。文化的差異への尊敬が礼儀作法のまさに本質なのである。(107)

    ●産業社会=
    その地域単位および労働単位はアド・ホックなものである。単位への帰属は固定されたものではなくて、出入りが激しく、一般に構成員の忠誠心や一体感を保証したり確約したりはしない。要するに、その内部に純粋な下位構造として存在するものが・・・あまりなく、本質的に無作為で流動的であるような全体性によって古い構造は消滅させられ、ほとんど取って代わられてしまうのである。個人と全共同体との間のどの中間レヴェルにおいても、有効で拘束力ある組織はほとんど存在しない。それ故、この全体的かつ究極的な政治的共同体は、(過去においては稀であったが)国家と文化的境界との双方と結びつけられることによって、まったく新たな、かつきわめて大きな重要性を獲得する。下位集団が侵食され、読み書き能力に依存する共有文化の重要性が広く増大するために、民族は今やこの上もなく重要なものとなる。不可避的に、国家は膨大な社会的インフラストラクチャーの維持と監督・・・を引き受けることになる。(107―108)

     □エントロピーへの障害

    この種の社会では諸個人は、上述のように無作為的かつエントロピー的に移動し配分されねばならないということが強調されると、一つの重要な問題が生じてくる。

                   ↓

    ●「耐エントロピー」
    もしある分類が、産業社会が最初に確立されてからしばらく経った後でも、社会全体の中に均等に分散しようとしない顕著な傾向を持つ属性に基づくものであるならば、それは耐エントロピーである。(109―110)

    いつの時点でも耐エントロピーであるような特性を作り出すことは、常に可能である。けれども、普通この意味で概念の耐エントロピー性が重要性を持ちうるのは、その概念がある程度自然な観念である場合、すなわち、当面の目的のために人為的に作り出されるのではなく、当該の社会の中ですでに使用されている場合においてのみである。

    →すなわち、耐エントロピー特性は産業社会にとってきわめて深刻な難題を形成する(110―111)

                   ↓

    異なる文化から産業地域へ参入した者の間で生じるようなコミュニケーションの挫折は、エントロピー抑圧の一形態である(一世代かそこらでしばしば容易に克服されうるが)。しかし、その逆は成り立たない。すべてのエントロピー抑圧が単なるコミュニケーションの挫折に起因するわけではないからである。単なるコミュニケーションの挫折に起因せず、支配的な[言語]プールへの同化によっても、新参者の生まれつきの媒介言語を用いた新しい独立したプールの創造によっても癒されないエントロピー抑圧は、それ故一層悲劇的なものとなる。(113)

    ●例 「ルリタニア人」と「青色人」
    (ルリタニア人と青色人との間に)一つの著しく重大な相違がある。ルリタニア文化は脱ぎ捨てることが可能であるが、皮膚の色はそうはできないことである。(117)

    =(ルリタニア人=ルリタニア文化は脱ぎ捨てることが可能=(エントロピー的)
    青色人=皮膚の色はそうはできない=(耐エントロピー))

    「二つの選択肢」=ルリタニア人には、メガロマニアの言葉や文化へ同化するか、あるいは彼らの方言が公式の読み書き言葉となるような輝かしきルリタニア独立国を建設するか、という二つの途が開かれていた。

                   ↓

    遺伝的ではあっても、強い歴史的・地理的関連性を持たない身体的特性は、エントロピー的になりやすく、たとえ社会的利益あるいは不利益と少々関連していても、社会的に気づかれないままでいる傾向にある。対照的に、ルアンダやウルンディでは身長の高さが、事実的にもイデオロギー的にもきわめてはっきりした仕方で、エスニシティの帰属と政治的な地位とに関連している。(119)

    ●前産業社会の宗教がどれもすべて、産業社会の坩堝の中ではエスニシティへの忠誠という新たな外観を作り出すと主張しているわけではない。

                   ↓

    農耕世界では、高文化は複数の低文化と共存し、自らを支えるために一つの教会(少なくとも一つの聖職者ギルド)を必要とする。これに対して産業世界では、複数の高文化が普及するが、彼らは一つの教会ではなく一つの国家を必要とし、しかもそれぞれ一つの国家を必要とする。(122―123)

     □亀裂と障壁

    産業化は流動的で文化的に同質な社会を生じさせ、したがって、その社会は、以前の安定的で階層化され教条的で絶対論的な農耕社会には通常欠けていたような、平等主義への期待と渇望とを持つ。同時に、産業社会は、その初期の段階で、きわめて厳しい、苦痛に満ちた、きわだった不平等を生じさせる。

    →そのような状況―平等主義的期待、不平等主義的現実、苦難、そして願望されてはいるが未だ実現されていない文化的同質性―では、潜在的な政治的緊張が深刻なものとなり、この緊張が支配者と被支配者、特権的な人々と非特権的な人々とを分ける適当な象徴や識別マークをつかむことができれば、それは現実化してしまうのである。

    →諸文化のうちで不満を結晶化する役割に最も格好なのは、(読み書き能力を基礎とする)高級信仰とむすびついた文化である。(124―125)

    ●初期の段階=
    そして、民族は高文化を、あるいはかつての低文化を中心にして自らを組織することができる。もしも高文化が手元になかったり利用不可能であれば、あるいは敵対集団にすでに取られてしまっているならば、当然その時には低文化が高文化に転換されることになる。これが民族の誕生(あるいは彼らの主張するところによれば「再生」)の時代、低文化が新たな読み書き能力に基礎を置く高文化に変換されるじだいである。(127)

    ●後期の段階=
    後期の段階はこれとは違う。この段階では、深刻で客観的な社会的不満あるいは顕著な社会的差異が、手近にある何らかの古い文化的差異を捜し求め、もしそれが新たな障壁を、ひいては新たなフロンティアを作り出しうる場合にはそれを利用するということはもはやなくなるからである。今や、容易な同一化を妨げ、そうすることによって新しいフロンティアを発生させるのは、流動性や平等に対するもともと以前からある障壁だけとなる。この違いは重要である。

     □様々な焦点

    「いくつかの特殊なケースについて」

    ●農耕時代におけるイスラーム文明は、農耕社会が政治単位を定義するのに文化を用いたがらない、別言すれば、ナショナリスト的になりたがらないとするわれわれの命題をはっきりと説明してくれる。(128)

    イスラームは・・・多くの変容を同時に経験しているのである。偉大な一神教の中でも最もプロテスタント的な宗教であるイスラームは、常に宗教改革好きであった(実際、イスラームは永久宗教改革として特徴づけられるであろう)。

    →この神学は、個々の信者が、単独で一人の神と、一つの大きな、匿名の、仲介者なき共同体と結びつくのを許す。これらすべては、実際、ナショナリストの要求のパラダイムである。(134)

                   ↓

    他の高文化がこのような変換を行う場合には、それらの従来の教義的支柱や土台を捨て去るという代償を支払う必要がある。

    →けれでも、イスラームの場合はそうではない。イスラームは農耕時代においてヤヌスのように二つの顔を持っていた。一方の顔は宗教的にも社会的にも多元的な農村の民衆や集団向けのものであり、他方の顔は宗教的により潔癖か学究的で個人主義的で読み書き能力のある都市の学者向けのものであった。さらに後者に対して義務づけられた教義は、近代においても少なくともある程度耐えうるくらいまで、十分に純化され簡潔で唯一神教的であった。

    →これに対して、地中海の北岸でイスラームの競争相手が携えてきたバロック的荘重さ[カトリックの教義]はきわめて不寛容であり、こっそりと緩和され少しずつ捨てられねばならなかった。(135)

                   ↓

    教義が優雅かつ単純、簡素で、厳格に唯一神教的であり、衒学的で目障りな装飾物を多く持たないコト、これらのことは、イスラームが、教義上もっと豪華な信仰よりも上手に近代世界で生き延びていく手助けをした。(136)

    ●エンクルマの台頭時における都市の下層階級の役割は顕著なものであった。(139)

    イスラームやキリスト教といった世界宗教への改宗によって読み書き能力に基礎を置く高文化とのつながりを持ったアフリカのエスニック・グループは、効果的なナショナリズムを発展させる上で他のエスニック・グループよりも有利であった。(142)

    ●「文化に媒介されたナショナリズムと構造(耐エントロピー)に媒介された部族主義との間に描いている対照」
    モダニティの全面的出現は、多元的で小さい地域的な結合組織が溶解してしまうかどうかに、そして流動的で匿名的で読み書き能力を基礎としアイデンティティを授ける文化によってそれらが取って代わられてしまうかどうかにかかっていた。ナショナリズムを規範的なものにし普及させたのは、この普遍化された条件に他ならない

    →近代産業が、上層のレヴェルでは家族主義的でネポティズム(縁故主義)的であることはありうる。けれども、その生産単位を、部族社会がしたように、血縁的あるいは地域的原理に基づいて補充することはできない。(146)

    文化に媒介されたナショナリズムと構造に媒介された部族主義との間に描いている対照は、・・・相対論的あるいは感情論的対立と混同してはならない。

    →このような意味では、ナショナリズムとは、幸運、努力あるいは状況によって近代的環境の下で有効な力となることに成功した単なる部族主義に、いや他のどんな集団主義にもなってしまう。

                   ↓

    ナショナリズムは事後的に確定しうるにすぎない。部族主義は成功しない。なぜなら、部族主義が栄える時は、誰もがそれを真のナショナリズムとして尊敬するだろうし、誰もそれをあえて部族主義とは呼ぼうとしないからである。(147)

    ****雑感、おまけ******

     「民族を、自分たちの意志の力で共同体として存続できる集団と定義するならば、われわれが海に投げ入れる定義の網は、あまりにも多くのものを捕獲してしまうであろう」(アーネスト・ゲルナー、同前、九一頁)。これは滝村隆一「固有の領域・領土」論(『アジア的国家と革命』など)での「結論からいえば、他と区別される<協同社会性の最大の範囲>が<民族>として規定されるのは、それが同時に直接・間接の<世界性>を獲得しているときである」、「この意味で他と区別される<協同社会性の最大の範囲>を<民族>たらしめる<世界性>―正確には<世界的空間性>―自体、一定の<歴史(的規定)性>をもっているということである」(『北一輝論』三二六―三二七頁)とも軌を一にしている。

     大澤真幸『ナショナリズムの由来』では「多文化主義は、諸文化が平和裡に共存しうる平坦な均質空間が存在しうるということを・・・当然の前提にしている」。だが「この前提の―多文化主義者にとっての―信憑性はどこから来るのか?」として、たとえば「多文化主義のフランスへの適用」を批判するE・トッドあたりとはまた違った論理が展開されている。ヘーゲルによる、カントの「物自体」とは「漂白された現象が」「現象の領域の彼方に投射されたことで得られる幻影だ」とするカント批判の構図をつかい、「これと同じことが、多文化主義にも妥当する」のだと。

     「多様な文化や民族が共存しうる普遍的な場Ⅹの存在可能性やそうした場の同一性・統一性は、個々の特殊な文化や民族共同体の同一性が―その特殊な内容を抜き去られた後に―投射されたものにほかならない。この意味で、多文化主義は、ナショナリズムにこそ依存している。多文化主義とは、言ってみれば、「ナショナリズムとしてのナショナリズム」である。多文化主義は、ただ、現に実現された国民的な均質空間を独断的に外部に拡張・投射したものに過ぎないのだ」(以上、大澤真幸『ナショナリズムの由来』六六七頁)。

     このあたりは「単なる相対主義」とベタな虚構の「実体化」との相補的構造の総体への批判として読める。単なる価値相対主義思想、「主体」の「自己相対化」を欠いた「単なる価値相対主義」には、それが容易に「主体」を超越化させることへの歯止めがない、ということなのだ。何度も書いてきたとおり、価値秩序の浮遊化状況を「実体などない」とするただの「相対主義」=「唯名論的」な「解体化」(この文脈でいえば「可能性」の論理)と、擬似的に「実体」を「実体化」させる「実体主義」=「概念を実体化して呼び寄せる」=「実念論的」な「求心化」(この文脈でいえばベタな「必然性」)との相補的構造そのものが問題なのだ。実体などないというただの相対化ではなく、実体じしんのとらえなおし。

    | | コメント (0) | トラックバック (1)

    2011年7月 7日 (木)

    レジメ:アーネスト・ゲルナー(加藤節・監訳)『民族とナショナリズム』

    レジメ:アーネスト・ゲルナー(加藤節・監訳)『民族とナショナリズム』「第四章 ナショナリズムの時代への移行」「第五章 民族とは何か」

    以下、ほぼ抜粋・要約のみ。こちらの感想は末尾に。

    ****抜粋・要約*****

    ■第四章 ナショナリズムの時代への移行

    人類は、もはや後戻りできない形で産業社会に、その生産体系が累積的な科学とテクノロジーとに基づいている社会に縛られている(66)=「客観的で不可避的な要請」(67)

    ナショナリズムが同質性を押しつけるというのは真実ではない。むしろ、客観的で不可避的な要請によって押しつけられる同質性がナショナリズムという形をとって表面に現れるのである(67)
                             ↓
    産業主義への移行の時代は、われわれのモデルによれば、必ずやナショナリズムの時代、動乱に満ちた再調整の時期たらざるをえない(67)
    その後産業社会が世界の残りの部分を征服した時、地球規模の植民地化も、そしてまた、工業至上の波にのって前進してきたが結局はその独占権を失った国々による帝国の放棄も、決して平和裡の発展ではなかった。これらすべてのことが意味することは、現実の歴史において、ナショナリズムの帰結は産業主義のもたらす他の結果と融合しやすいということである。ナショナリズムは確かに産業社会の組織の一帰結ではあるが、それはこの新しい社会形態が強要するただ一つの帰結というわけではない。したがって、産業社会の他の発展からナショナリズムを解きほぐすことが必要なのである(68)
                             ↓
    ・宗教改革とナショナリズムとの魅惑的な関係によって例証(69)
    産業主義とナショナリズムとが外部からの衝撃の下に遅れてやってきた地球上の地域においては、プロテスタント・タイプの態度とナショナリズムとの完全な関係性についてなお適切に解明されなければならない(69)→「一種のイスラム・プロテスタンティズム」、「神道」(70)
    ・ナショナリズムと植民地主義・帝国主義・脱植民地化の過程との間にも関連がある(70)

    ナショナリズムの核心や本質が、初めに設定したような抽象的に定式化できる一般的諸前提から生み出されるとしても、ナショナリズム現象の特定の諸形態は明らかにそれらの諸環境によって影響されている(72~73)

     □ナショナリズムの弱さについてのノート

    ナショナリズムを理解する手掛かりは、少なくともその強さとともにその弱さにある(73)=「吼え損なった潜在的ナショナリズム」

    ナショナリズムとは、文化と政治体とを一致させ、文化にその自前の政治的屋根を、しかも一つの文化に一つだけの屋根を与えようと努めることである(73~74)
                             ↓
    一つの有効なナショナリズムごとにn個の潜在的ナショナリズムが存在する(76)

    ナショナリズムが、意図的な文化的「権力欲」から同質性を押しつけるというのは事実ではない。その逆で、ナショナリズムに反映されているのが、同質性への客観的必要性なのである(77)
                             ↓
    しかし、ナショナリズムは、古い、隠れた、休眠状態の力を目覚めさせることではない。実際に、そのように現れることがあるとしてもである。ナショナリズムは実際には社会組織の新しい形態の結果であり、それは、深く内在化され、教育に依存し、国家の保護を受ける高文化に基礎を置いている。ナショナリズムは先在する諸文化の一部を利用し、その過程で一般的にそれらを変形することはある。しかし、それらの文化全部を利用することはできない。前代の文化は多すぎる。文化を支える活力に満ちたより高度な近代国家というものは、ある一定の最小規模以下にはなれない(81~82)→「ナショナリズムは、時に先在している古い文化を取り上げて、それらを民族に変えて行くこともあるし、時にそれらを作り上げることもあるし、しばしば先在文化を完全に破壊することもある」(82~83)

    しかし、われわれは神話を受け入れてはならない。民族は事物の本性に刻み込まれているものでもないし、自然の種という教義の政治版を構成しているのでもない。また、民族国家はエスニック・グループや文化集団の究極の明白なる運命でもない。(83)
    しかし、ナショナリズムとは、これらの神話的で、自然かつ所与と思われる単位を目覚めさせ、主張することではない。反対に、ナショナリズムとは確かにその原料としてナショナリズム以前の世界に由来する文化的、歴史的、そしてその他の遺産を利用しはするが、今日優勢になりつつある条件に適した新しい単位の結晶化なのである。この力、つまり新たな分業に呼応する原理の上に打ち立てられた新しい単位への推進力は、近代世界における唯一の力でもないし、抵抗できない力でもないが、大変力強い(83~84)

     □野生文化と園芸文化

    「高文化」と「野生種の文化」(85)
    高文化は一般的には政治単位の範囲を定めることはなかったし、農耕時代にはそうできるはずもなかった十分な理由が存在したのである。 産業時代においては、これらすべてが変わる。高文化はまったく新たな意味で支配的となる(86)

    産業時代は、先立つ時代の政治単位と文化―高文化と低文化―とを継承した。政治単位と文化とが、すべて突然単一のものに融合すべき理由はなかった。逆に、そうなるべきではなかった理由は十分にあった。産業主義、別言すれば同質的な呼吸タンクを絶対不可欠なものとするような生産または分業のタイプは、世界のあらゆる地域に同時かつ同じ仕方で到着したのでもなかった。その到着のタイミングが違っていたことが、じつに効果的に人類を競合する集団に分割することになった。様々な共同体における産業主義の到着時期の違いが深刻となったのは、それらの共同体が、農耕世界の残したいくつかの文化的、遺伝的差異などを利用しえた場合である。「発展」の日付確定は、もしそれが農耕時代から継承した文化的差異を捕えることができ、それらを自らの印として利用できるなら、決定的な政治的識別符号となるからである(88~89)

    ■第五章 民族とは何か

    集団を形成し維持する一般的動因もしくは触媒要因として、次の二つが明らかに決定的である。すなわち、一つは意志、自発的な支持や一体感、忠誠、連帯であり、他の一つは恐怖、威圧、強制である。これら二つの可能性は、一種のスペクトルの両極をなしている(90)=「期待と恐怖」(91)

    民族を、自分たちの意志の力で共同体として存続できる集団と定義するならば、われわれが海に投げ入れる定義の網は、あまりにも多くのものを捕獲してしまうであろう」(91)
                             ↓
    暗黙の自己同一化は、民族より大きな、あるいは小さな集団、複数の民族にまたがる集団、水平的あるいは他の仕方で境界づけられる集団など、あらゆる種類の集団づくりのために機能してきた。要するに、たとえ(国家の理想主義的定義を言い換えて)意志が民族の基礎であると言ったとしても、それは同時に他の多くのものの基礎でもあるため、このようなやり方では結局、民族を定義することはとてもできないのである(91~92)
    共有文化による民族のどのような定義も、同様に、あまりにも多くのものを捕獲してしまうもう一つの網である(92)

    広く普及した高文化(標準化され、読み書き能力と教育とに基礎づけられたコミュニケーションのシステム)の確立、すなわち世界中で速度を急激に増しているこの過程のために、民族性は共有文化によって定義できるということが現代の前提にあまりにも深く浸っている誰の目にももっともらしく見えてしまう(93)
                             ↓
    {意志と文化という}民族性の定義を目指す明らかに有望な二つの途が、以上のような説得力ある理由によって閉ざされてしまうのであれば、他の途はあるだろうか。 真に大きな、しかし正当なパラドックスとは次のことである。すなわち、民族はナショナリズムの時代によってのみ定義されるものであって、あるいは期待されているかもしれない他の仕方では定義できないということである。「ナショナリズムの時代」が、あれとこれ、あるいはその他の民族の覚醒と政治的自己主張との単なる総和にすぎないというのは、真実ではない。むしろ、一般的な社会的条件が、エリートの少数派にだけではなく全人口に普及する標準化され同質的で中央集権的に支えられた高文化を促進する時、教育を通じて容認された輪郭のはっきりした統一的文化が、人々が進んで、時には熱烈に一体化したがるほとんど唯一の単位を構成するという状況が生まれるのである(93~94)
                             ↓
    こうした条件の下で、もっともこうした条件の下でのみであるが、民族は意志と文化との双方によって確かに定義されうるし、またこれら双方と政治的単位との一致によって確かに定義されうるのである(94)→「しかし、このような条件は人間の状況それ自体を定義するものではなく、単にその産業時代的変種を定義するものにすぎないのである」(94~95)

    ナショナリズムによって行われる基本的な欺瞞と自己欺瞞とは次のようなことである。ナショナリズムは、その本質において、以前には複数の低文化が人口の多数の、ある場合にはそのすべての人々の生活を支配していた社会に、一つの高文化をあまねく行き渡らせるのである(97)
    それは匿名的で非人格的な社会の確立であり、この社会は、極小集団がそれぞれ土地ごとに特有な形で再生産する民衆文化によって支えられた地域の諸集団からなるかつての複雑な構造に代わって、もっぱら上記の類の共有文化によって結合されている相互に互換可能で原子化された諸個人から成り立っている。これこそが本当に起きていることである(97)

    ナショナリズムは、もし成功すれば異国の高文化を排除しはするが、しかしその場合にそれを古い地域的な低文化に置き換えるわけではない。ナショナリズムが復活させたり捏造したりするものは、自分の地域的な(読み書き能力に基づき、専門家によって伝えられる)高文化だからである(98)

     □真のナショナリズムの歩みは決して順調ではなかった

    (産業世界が隔離された文化という生育水槽を伴って登場した時に新しい単位{民族}の出現を決定する二つの重要な核分裂の原理のうちの一つについて述べてきた。それは、コミュニケーションに対する障壁の原理、かつての前産業時代の文化に基づいた障壁の原理と呼ぶことができよう。それは産業化の初期に特殊な力を発揮する。同じくらい重要な他のもう一つの原理は、社会的エントロピー抑制の原理と呼ぶことができる。これについては、少を章を改めて論じるべきであろう(106)

    ****雑感、おまけ******

    ●滝村隆一「固有の領域・領土」論(『アジア的国家と革命』)など
    「そこで結論からいえば、他と区別される<協同社会性の最大の範囲>が<民族>として規定されるのは、それが同時に直接・間接の<世界性>を獲得しているときである」(『北一輝論』326~327)
    「この意味で他と区別される<協同社会性の最大の範囲>を<民族>たらしめる<世界性>―正確には<世界的空間性>―自体、一定の<歴史(的規定)性>をもっているということである」(327)

    領域・領土は<共同体―間―国家>にとって必然。単なる歴史的・文化的なものではない。資本主義世界において国家があらゆる地域・領域に進出する=領域・領土の地球大全面化。

    『アジア的国家と革命』の「固有の領域・領土」論
    ①「固有の領土」は近代国家に固有の観念で、それ以前の(所有でもなければ、国民でもない)「住民の占有」の直接の延長線上にはない。=切断

    ②近代にあっても「固有の領土」は固定したものでないばかりでなく、法的根拠じしんが力関係(<共同体―間―国家>関係)によって常に変動しているもの。

    「以上、過去の「住民の占有」関係も、現実の日々変化する「法的根拠」も「固有の領域・領土」画定の普遍的根拠たりえない」。

    ●自己決定権=民法も法であるというのと同じで、自己決定権も他者との関係において国家(法)を媒介にしなければならない。

    ●去年観た「ドキュメント映画」?の感想。
    暴動の結果→
    組織された労働者、基幹産業、教育労働者らには手厚い防衛戦線が組まれていた。しかし一介の単独者、バーテンダーにはほとんどなにもなかった。→
    故郷「沖縄」という「民衆」の「共通の意識空間」からの疎外、はみださざるをえなくなる。もはや無垢の一致状態ではいられなくなる。=いうならば地域住民の共通意識空間によって殺された『イージーライダー』のように。
    このドキュメントの主人公は、「議事堂の鉄柵」という具体的な「硬くて大きい」ものを向こう側に立てることによってはじめて、この媒介をとおしてはじめて、もはや始原の無垢の一致状態ではなかった故郷という「民衆」の「共通の意識空間」に、再びつながる感覚をえようとしたのではないのか。

    はみだし者、「共通の意識空間」からのねじれ、距離。この距離の一挙的埋め合わせ=合体化の試みのためには「敵」としての他の「共通の意識空間」を必要とした。→
    強大な敵を想定・仮構することで「小異を捨て大同を」というのと同型の心性。

    「民衆」の「共通の意識空間」に素直にべったりと同一化できないとき、他の「共通の意識空間」との出会い・対抗という場面においてのみ故郷の「民衆」の「共通の意識空間」へと還る・同一化が呼び覚まされ、可能となったのだろう。その「他の「共通の意識空間」」の象徴としての議事堂。

    ●「エレクトリック・トラッド」の世界でも流行したジャコバイトの歌。
    スコットランドの低地人(産業的・高文化?)の古い「文化」への回帰現象。それまでかならずしも同調的でなかった「遅れた」スコットランド高地人(ハイランダー)たちの反乱の惨敗の後に、むしろハイランダーたちが保持してきた古い「文化」への回帰現象が起こる。

    ●文庫で読んだ船戸与一『流砂の塔』は新疆ウィグル自治区を舞台。九〇年代以降の船戸作品のほとんどすべてと同様に、原理主義(ここではイスラム原理主義)と民族主義との矛盾、アツレキが物語の軸のひとつ。

    ●相倉久人「ジャズは死んだか」
    米国の「雑民文化」(=差異主義)その排他性→
    誰も死なない国アメリカ=地理的に広いことが条件

    ●E.トッドの『移民の運命』の付録インタビュー
    「人類学からの多文化主義批判」
    差異主義=共同体主義=温存して丸がかえ
    これにたいする普遍主義(フランス)

    前回、深田三徳『現代人権論』「第五章 人権の普遍性を否定する諸見解」での深田の「文化相対主義」の説明。
    「文化相対主義は、もともと人類学の研究のなかで使用されるようになったことばであり、文化の多様性・異質性・文脈依存性を認めながら、文化の内在的ないし機能主義的理解や価値中立的な研究方法などを主張するものである。」
    →「しかしここで問題にしようとしている文化相対主義はそれと同じではない。これは、それぞれの社会には独自の文化があり、道徳的諸原理や制度などもその文化の下で、あるいはその文化の一部として生まれた独自のものである。したがってある社会の文化の下で生まれた道徳的諸原理や制度などを別の文化をもつ他の社会の道徳的諸原理などによって評価することはできないとする考え方である。」(「二 文化相対主義について」(132~))

    ●拾い読みした大澤真幸『ナショナリズムの由来』から
    「多文化主義はナショナリズムにこそ依存している。多文化主義とは、言ってみれば、「ナショナリズムとしてのナショナリズム」である」(667)

    このあたりは「単なる相対主義」とベタな虚構の「実体化」との相補的構造の批判として読めた。単なる価値相対主義思想。「主体」の「自己相対化」を欠いた「単なる価値相対主義」が容易に「主体」を超越化させることの歯止めがない、ということだろう。

    何度も書いてきたとおり、価値秩序の浮遊化状況を「実体などない」とするただの「相対主義」=「唯名論的」な「解体化」(この文脈でいえば「可能性」の論理)と、擬似的に「実体」を「実体化」させる「実体主義」=「概念を実体化して呼び寄せる」=「実念論的」な「求心化」(この文脈でいえばベタな「必然性」)との相補的構造そのものが問題なのだ。「レヴィ=ストロースの形式主義は悪い形式主義である」(アルチュセール)。ちなみに吉田傑俊さん公開フォーラム「戸坂潤の哲学」での「形態」と「形式」とのはなしも、アルチュセールの「必然性」とレヴィ=ストロースの「可能性」とに関係してくる。実体などないというただの相対化ではなく、実体じしんのとらえなおし。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2011年6月 3日 (金)

    「大きなヒト」と田中吉六と廣松渉

    先日、某所に投稿した短文の修正版、二〇一一年。

    ●「大きなヒト」と田中吉六と廣松渉

    「Cooking soup with stale words and fresh meanings it tastes so good」(「Lordly Nightshade」)

     インクレディブル・ストリング・バンド六〇年代の代表作のひとつ、『Wee Tam & The Big Huge』のリマスター盤CDを入手した。オリジナル英国盤レコードは二枚組だったらしいが、十代の頃、リアルタイムで持っていた米国盤は一枚ずつのバラ売り。二枚目に当たる『The Big Huge』はとくによくきいたなあ。

     その冒頭、主要メンバーのひとりロビン・ウィリアムソンの長尺物『Maya』から「大きなヒト」(The Great Man)の部分。
     「大きなヒト」。Artist も Thinker も Labourer も Soldier も、それに No-hustle man も、みんな「大きなヒト」の一部なのだ、という発想に非常に影響された。

    大きなヒト、大きなヒト

    歴史家は、その「記憶」
    アーティストはその「感覚」
    思索家は、その「頭脳」
    はたらくヒトはその「成長」

    冒険家は、その「四肢」

    企業家は、その「神経系」
    何もしないヒトは、「胃袋」

    --『Maya』Robin Williamson

    (全歌詞)
    The dust of the rivers does murmur and weep
    Hard and sharp laughter that cuts to the bone
    Ah, but ever face within your face does show
    Going gladly now to give himself his own

    And twelve yellow willows shall fellow the shallows
    Small waves and thunder be my pillow
    Upon the gleaming water two swans that swim
    And every place shall be my native home

    The east gate like a fortress dissolve it away
    The west gate like a prison O come break it down
    Island I remember living here
    Wandering beneath the empty skies

    In time her hair grew long and swept the ground
    And seven blackbirds carried it out behind
    It bore the holy imprint of her mind
    As green-foot slow she moved among the seasons

    The great man, the great man, historians his memory
    Artists his senses, thinkers his brain
    Labourers his growth
    Explorers his limbs
    And soldiers his death each second
    And mystics his rebirth each second
    Businessmen his nervous system
    No-hustle men his stomach
    Astrologers his balance
    Lovers his loins
    His skin it is all patchy
    But soon will reach one glowing hue
    God is his soul
    Infinity his goal
    The mystery his source
    And civilisation he leaves behind
    Opinions are his fingernails

    Maya Maya
    All this world is but a play
    Be thou the joyful player

    The wanderer no sense does make
    His eyes being tied in the true love's knot
    The trees perceive his soul
    Do not detain him long

    Dear little animal dark-eyed and small
    Caring for your fur with pointed paws
    This hawk of truth is swift and flies with a still cry
    A small sweetmeat to the eyes of night

    O dandelion be thou thine
    Reflecting the sun in sexual glory
    In every-changing tongues
    The every-changing story

    The book, man, bird, woman, serpent, sea, sun
    Blessed O blessed are they of the air
    Your eyes are the eyes
    Of the glad land
    Ye twelve that will enter the seasons

    The great ship, the ship of the world
    Long time sailing
    Mariners, mariners, gather your skills

    Jesus and Hitler and Richard the Lion Heart
    Three kings and Moses and Queen Cleopatra
    The Cobbler, the maiden
    The mender and the maker
    The sickener and the twitcher
    And the glad undertaker
    The shepherd of willows
    The harper and the archer
    All sat down in one boat together
    Troubled voyage in calm weather.

     後になって初期マルクスを読むようになったときも、マルクスの「類的存在」をこんな感覚から読み込もうとしたから、辛気くさい梅本克己やら何やらはそもそも問題外、手がかりに使えたのは、かろうじて田中吉六くらいだったのだ。
     マルクス『フォイエルバッハ・テーゼ』解釈。(王様が「主義」から「科学」へと代替わりしただけのような)降旗節雄・加藤正ふうの解釈も、ましてや説教くさい梅本その他の「主体性」論も肌にあわなかったが、結局 Let It Be で「なんでもアリ」となる田中吉六の「受苦的=情熱的存在」論だけは「~すべし」を感じさせないのでなじめた、ということでファンというわけでもなかったのだが。
     梅本か・・・。梅本の「主体」というか登場人物に「当人にとっての切実さを、なんの手続きを経ることなく、他の誰にとっても切実な課題であると直結させてしまうベタな心性」を感じ、「ザイン的なレベル」と「ゾルレン的なレベル」との癒着があるようでうっとうしかった、というようなことだったのかなあ?
     正直いって、当時(もちろん今でも)ほとんど興味の埒外だった(カミール・パーリアの「米国にデリダもフーコーもいらない、なぜなら米国にはジミ・ヘンドリックスがいたから」のニュアンスとは少し違うが、古典的、固定的な発想への現代ふうの違和感覚なら、誰であれ経済学者や哲学者から学ぶものなどなかったのだし)。

     宇野弘蔵の「経済原則」、廣松の「世界の被媒介性」、吉本隆明の「社会がかわればかわるというふうにかんがえられてはいない」位相での「疎外論」、あるいは岩井克人なら「人間の物質代謝過程に、生命維持以外の動機を与え、その動機の下に物質代謝過程を一定の姿で継続させる仕組みとしての制度化」などまでひっくるめて、否定の論理(特殊歴史的な?)ではない「超歴史的」な論理の効能とはなんだろう。

     六〇年代の廣松理論の「受容」のしかたとはべつの、七〇年代以降の世の中での廣松理論の楽しみどころというか、おもしろさは、『資本論』「商品論」からインスパイアされながらも「特殊歴史性」を突き抜けてしまったような部分、あらゆる社会に通じる労働過程まで実体概念でなく、関係概念として読み込んでしまう「協働」をキーワードとする「四肢的存在構造」の部分にあったのではないだろうか。
     疎外論であれ物象化論であれ、どのような歴史・社会状態だろうと人間の在るところいつでもどこでもにあてはまるような位相からは、否定の論理(特殊歴史的な?)は直接にはでてこない。ここを誤ると「抽象的人間労働」が、ひとつの歴史的な項である「機械制大工業のもとでの単純労働・汗仕事」となり、現代ふうのサービス労働などにたいして特権化されたり、生産は「見ための物理的な変容」にされ、自然は「天然」にされ、共同性は「共同体」「共同生活」などに実体化されてしまう。ある時期の吉本の微妙なキーワードのひとつであった「大衆の原像」が、現存するチャラチャラした大衆社会のさらに下層の朴訥な「大衆の原」「像」として理念的にまつりあげられ、特権的な項として実体化されたりする。

     「労働」をいったん「あらゆる諸行為」の地平へとひきずりおろす。廣松「協働」のロジックも、森羅万象、歴史的・社会的あらゆる場面の登場人物にすべて等しく、「賃金奴隷」も「資本主義者」もともに等しく「遠慮するなよ!/気どってんじゃねえよ!」とばかりに、人間存在論をいわば「最低人」の地平へといったんひきずりおろす、その小気味よさがあった。
     人間の諸行為・諸活動のなかに「対象的活動」や「協働」とそうでないのとがあるというはなしのまえに、人間の諸行為・諸活動をまるごと「協働」と考えたマルクス人間存在論があるというのが田中吉六流の『経哲草稿』解釈だろう。廣松でも、「対象的活動」の「主体」を「対自然的・間人間的」なものと膨らませることで初期マルクス疎外論での「対象化」の論理じたいを『ドイツ・イデオロギー』へと繋げてゆく。もともと「協働」を鍵言葉とする「四肢的存在構造」の「物象化」論理へと収斂させてゆく。人間の諸行為・諸活動をまるごと「協働」と考えてゆく。

     田中吉六の疎外論解釈も廣松渉の物象化論も「大きなヒト」の地平と一続きなのだ。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2011年5月 1日 (日)

    三上寛の「小便だらけの湖」

    「夕日を見ると さみしくなるから/星を見ると 悲しくなるから」(三上寛「小便だらけの湖」)。先日レンタル屋で借りた三上寛『1972/コンサートライブ零孤徒』をきいている。「小便だらけの湖」は四曲目。
    コロムビアのスタジオ録音盤添付の歌詞を引用。

    小便だらけの湖に
    あなたと二人で とびこんで
    うたう歌は さすらいの春歌
    踊るダンスは 盆踊り

    だから だから

    なんでもいいから ぶち壊せ
    なんでもいいから さらけだせ

    ----三上寛『小便だらけの湖』

    **

    ひょっこり出てきた古雑誌の山の中から。
    以下は三〇年以上も前、『同時代音楽』創刊号に書いた中村丈夫編『コンドラチェフ 景気波動論』の書評。

    **

    書評:中村丈夫編『コンドラチェフ 景気波動論』

    W.W.ロストウからE.マンデルまでの多くの人々により、「コンドラチェフの波」が、最近あらためて脚光をあびつつあるという。けれども「近代経済学」と「マルクス経済学」とを問わず、現実の経済過程へのトータルな接近の方途が見失われつつある現今の「経済学」にとって、「景気変動の長波」に象徴される、彼の視角ののスケールの大きさが再び見直されるに至ったことは別段、驚くには当たるまい。
     本書『コンドラチェフ 景気波動論』には、その「景気波動の長波」を含む、一九二四-二八年の時期に執筆・発表された三本の彼の論文と、さらに加えて百頁に及ぶ編者解説が収録されている。

     ニコライ・ドミトリエヴィッチ・コンドラチェフ(一八九二-一九三二)は断るまでもなくロシアの経済学者であったが、編者中村丈夫はソ連における公式のコンドラチェフ評価に関して次のように纏めている。

     「(一)ソ連でのコンドラチェフの公式の処遇は、彼の粛清直後の一九三一年では右翼ナロードニキに属する偏向学者であり、一九三六年には「勤労農民党」なる徒党の首領であった。その後は彼についての記憶すら長らく抹殺されていたが、一九七五年になってようやく、彼の業績の一部が実証主義的な意義を認められるに至った。
     (二)ソ連以外では、コンドラチェフは世界経済の動態の分析者として知られてきた。これに反し、ソ連では彼はなによりもまず、「富農(クラーク)擁護・農業優先・農業集団化反対」論者とされてきており、その点は現在でも変ってはいない。
     (三)問題のコンドラチェフの長期波動論については、一九二九年大恐慌後は、資本主義の最終的破局の展望に水を注す反動的見解として正面から攻撃された。第二次大戦後の資本主義の長期にわたる明白な上向的発展過程を経た現在となると、「資本主義の全般的危機の本質をぼかす」という程度の黙殺的態度に緩和されている」(一三頁)。

     最もよく知られた「コンドラチェフの波」=長期波動分析に関しては、彼は、恐慌論史についての教科書的叙述の内に必ずと言ってよい程登場する著名な経済学者、ツガン=バラノウスキー(『英国恐慌史論』他の著作がある)の弟子であった。
     この分野での彼の方法の特徴は、旧来の約十年周期の景気変動論-恐慌論とは区別された五十年周期の大循環=「汎景気変動論」とでも言うべきものの定立を目指した点にある。

     「われわれは、長期波動の存在を主張し、それが偶然的原因から発生するとの見解に反対すると同時に、この長期波動は資本主義経済の本質に属する原因に由来する、と考えている。そのことは、当然、ではどのような原因であるうか、という問いにみちびく。この重大な意義をもつ問いに答えることの困難を、われわれは十分いに自覚している」(一四七頁)。

     長期的循環、すなわち資本制的景気変動の長期動態を、資本の本質から基礎つけんとしたことはコンドラチェフがマルクス経済学者である限りで当然の事態であったと言える。それよりもむしろ景気変動分析が、旧来からの十年周期の景気変動理論=資本制的蓄積の一般原理と、五十年周期の大循環=長期動態分析とに、二分化せざるを得なくなった事実のうちに、二十世紀のコンドラチェフの(その師匠たるツガン=バラノウスキーや十九世紀中葉のマルクス、エンゲルスに比して)独自な位置が示されている。
     資本による「文明化」作用=共同体にたいする分解作用の領域的な限界性が誰の目にも明らかとなった十九世紀末以降、それまで未分化であった資本制的蓄積の一般法則と資本世界総体の動態分析との相対的区別の問題が(要するに宇野理論でいう「論理」と「歴史」との区別の問題が)はじめて方法論の射程内に入ってくることになった。同市民的社会関係をその機軸としつつも、周辺部に常に分解しきれない領域を不可避に抱え込んで存在する資本世界総体の動態は、純粋な同市民関係に基づく資本制的蓄積の一般法則からの直接延長線上には遂に規定し得なかったのである。

     こうした特長をもつ彼の「景気変動の長波」理論と表裏を成すものが、彼の農業経済理論に他ならない。編者中村丈夫はコンドラチェフの問題意識を以下のように要約する。

     「・・・第一に、ロシアの運命を探るための資本主義の長期動態――彼にしたがえば長期波動――と戦争、革命といった社会的カタストローフとの関係である。第二には、ロシア農民の運命を探るための工業と農業、プロレタリアートと農民との関係である。ネオ・ナロードニキ学派と呼ばれる立場からすると、おそらくはその方が中心であったろう後者の焦点は、世界資本主義のなかでのロシアの過渡的経済の位置、軌道の測定をめざす前者のそれと重なりあう」(二〇頁)。

     「農民の真のイデオローグ」たるネオ・ナロードニキ学派に属するコンドラチェフの農業経済理論は、「ネップ期ソ連における最大の政治問題となってきた農業・農民問題に直結していた」(六七頁)。その立場は、ある意味では有名なブハーリン―プレオブラジェンスキー論争の論争場そのものに対決するものでもあった。

     彼のソ連農業問題に関する具体的論稿は、残念ながら本書には収められていないが、本書第三論文「工業製品と農産物の価格動態(相対的動態と相対的景気変動の問題によせて)」などにも、その背景にはソ連における農産物価格と工業製品価格との間の「シェーレ」(鋏状価格差)の切実な問題が横たわっていたのである。(余談だが、この「シェーレ」がトロツキーの造語であることをはじめて知ったのは、確か高校生の頃読んだ平岡正明の文章によってだった。残念ながらその題名は思い出せない)。

     本書自体に関して言えば、具体的なソヴェト農業問題論争に関する論文が収録されていないことが心残りであるとはいえ、詳細な編者解説とも併せてコンドラチェフ長期波動論への適切な入門書足り得ている。
     最後に繰り返しになるかも知れないが、コンドラチェフの「波」にしろ、あるいは不均等発展の「法則」にしろ、「歴史法則」にしろ決定論的な因果律上の原因などではなく、総じて「歴史的必然」なるものが――本誌府川編集長も『ザ・ブルース』第29号で述べているとおり――近代社会=交通様式のもとでの物象化的錯視の特殊態に他ならないことだけは、はっきりと確認しておきたい。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2011年4月 4日 (月)

    「長いお休み」、一〇年サイクル。

    大滝詠一『A LONG VACATION』30th Edition(二枚組)をきいている。
    以前にもとりあげたけれど、そこからの一曲「スピーチ・バルーン」。

    吐息ひとつ スピーチ・バルーン
    声にならない飛行船
    君は耳に手を当て 身をよじるけど
    何も届かない

    ------大滝詠一(作詞:松本隆)「スピーチ・バルーン」

    **********

    以下、これも自分の古いホームページから移した、古い(一九九〇年代)書評。

    書評:西井一夫『DISTANCE』

     「私は映画批評を書くつもりではなく、同時代の映画の観客として、映画を通して時代と社会について私が思うことを書き留めて来た」。これは「あとがき」からの引用だが、本書のどの文章を取っても「時代と社会について」著者の思うところはビシビシとつたわってくる。

     だからどこから取り上げても良いのだが、たとえば「『SHOAH』をめぐって」の章のなかから。『民族の祭典』の女性監督だったレニ・リーフェンシュタールが南部スーダンのヌバを撮った写真集『ヌバ』に関連させながら、著者はそこでふたつのことをいっている。一つは「多くの写真関係者はレニがナチ協力者だったということから、ヌバの美しさをナチの肉体賛美に結びつけて、そのことで評価を逃げた」のだが「私はレニの美しいものを発見し、とらえる目にともかく敬意を表わしたい」と言うこと。そしてもう一つは「ずっと以前には、まだ社会は同時に存在していた非社会的な階層を周縁や忘れられた空地に放置していた」ので「社会に適合できない人間は、そういうまだ社会に組み込まれていない人々の元へ逃避する経路を持っていた」のだが「しかし、もはやヌバも世界に吸収されてしまった」と言うことだ。ここで著者は「考えている二〇世紀世界史の分水嶺を一九六八年に置」いている。

     あるいはまた別の箇所「土壇場大詰めで、鶴田浩二が親分にあたる金子信雄を」刺殺し「やくざ映画で初の親殺しを描いた反やくざ映画となった」『博奕打ち・総長賭博』(一九六八年)から『仁義なき戦い』シリーズへのながれに象徴させて、「義理と人情をはかりにかけて義理が重たい世界が崩壊したこと」が暗示される。ここでは一九七四年を分水嶺として、すでに社会は「非社会、社会崩壊後の社会、社会の死体、死体によって構成される社会のようなもの」となっている。これは「少年らが彼女を収容所におけるユダヤ人の如くに扱っている」八〇年代の少年犯罪の話(「絶対的他者の唇」)へとつながってゆく。それはまた「『SHOAH』をめぐって」の章で描かれた世界、「ガスは下に降りるため、上へ昇れば空気があると錯覚して、ガス室の闇の中では恐怖だけが支配」する世界、「父と息子がパンを取り合い生き永らえようとする光景」、「結果的にいかに人のしかばねの上で死ぬか、というみじめな死体のヒエラルキーを競う戦い」という叙述へと重なりあって行くはずだ。しかしその収容所の看守は誰だったのか。

     『頽廃芸術展』─現代ならさしずめ藤本卓也-幻の名盤解放同盟とか?─に関してでは「すでに無意識はテレビのCMにとって替わられ、消えてしまった」と言う。そのとおりなのだろう。つまり「頽廃」が「好き嫌い」が「死体」があるいは「風俗」が、「ヌバ」を「よい悪い」を「私」を「私的趣味」を吸収してしまった世界、という現状認識こそ著者が「時代と社会について思うこと」の根本になっているのだ。

     けれども著者が描く分水嶺からあとの世界にはいまひとつ違和感が残る。本当は消えてしまったのはヌバではなく、レニの「美しいものをとらえる眼」のほうではなかったか。今が「死体によって構成された」社会ならぬ社会なら、DNAの異なる死者たちの世界なら、そこでは生者の世界の美意識のほうこそ消え去ったあちらの世界のものだろう。それとも大昔の流行歌ではないが「一九六九年以来、スピリットは置いてませんぜ」ということなのか。もちろん硬派中年の日常態度としては申し分ないものだろうし、迫力も十分すぎるほど伝わってくるのだが、そこが残念というより、単に世代的な体験の差にしてしまいたくはないなと感じた。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2011年3月 3日 (木)

    レジメ:杉原泰雄『憲法の歴史』「II 近代における憲法の三つの基本的な型」

    レジメ:杉原泰雄『憲法の歴史』「II 近代における憲法の三つの基本的な型」

    二〇〇七年、某所での読書会用のレジメ:杉原泰雄『憲法の歴史』「II 近代における憲法の三つの基本的な型」の部分。

    以下、ほぼ抜粋・要約のみ。こちらの感想は末尾に。

    ■二 外見的立憲主義型の市民憲法(58)

     1 ドイツの場合ー1850年のプロイセン憲法

    (1)「上からの近代化」
    「旧土地貴族のイニシアチブにより、封建的土地貴族と農奴の関係を資本・賃労働関係に再編成し、政治的にはそれに対応する外見的立憲主義型の憲法によって立憲体制の外見を施す、という近代化の仕方である。そこでは、経済関係においても、政治関係においても、旧いものが温存されがちとなる。」(60)
    「近代立憲主義型市民憲法の「三要素」を欠いた外見的立憲主義型の市民憲法である。「外見的」とは「見せかけの」、「上べだけの」という意味である。」(62)

    (2)一八五〇年プロイセン憲法の特色

     (i)立憲主義の意味
    「伝統的な君主主権論」=「憲法は、国王とその政府との関係では、授権規範ではなく、例外的な禁止または制限規範だという考え方」(63) →ビスマルク「欠缺(けんけつ)説」
    しかし「国家法人説」=「法人たる国家が統治権の所有者で、国王のもつ主権が統治権そのものではない」が導入されると「国王とその政府も憲法で明示的に認められていることしかできないと解さなければならなくなる。国民主権の憲法になればなおさら」→「上杉・美濃部論争」もこの点に関係。(64)

     (ii)「プロイセン人の権利」の保障
    「かなり広範に、形式的な自由と平等が保障されていたが、法律によっても制限できない人権としてではなく、法律には対抗できない「プロイセン人の権利」としてであった。」「保障されていた権利の多くは、法律で制限できるものであった。」(65)

     (iii)君主主権とその具体化
    ①「君主主権は当然の前提」。
    ②「権力の集中」。
    ③「国家法人説による修正」。
    「君主主権の温存」と「自律的個人、私的自治、法生活の予測可能性と安定性などの保障」。「この二つの要求を同時にみたすためには」→「ドイツ国法学は、君主即国家、「国民」即国家、「人民」即国家というようなフランス的国家論を拒否して、法人としての国家が統治権としての主権を所有するという考え方をうち出した。」=「国家法人説」
    (67-69)

     (iv)権力分立制の形骸化

     (v)地方自治
    「地方自治についての保障は、外見的には、近代立憲主義型市民憲法の場合とほぼ類似のものとなった。しかし、実質的には、大きな違いがあった。」→①②③(73-75)

     (vi)軍事問題
    ①「軍事の基本問題は、憲法で定めるべき事項として、憲法に規定されていた。」
    ②「軍事の基本問題の処理にあたっては、国王が中心におかれていた。」=「近代立憲主義型の市民憲法と大きく異なっている。」「統帥権の独立」(75-76)

     2 日本の場合ー1899年の大日本帝国憲法

    (1)日本における近代化
    「日本における「近代化」も「上からの」ものであった。」=「第一次世界大戦を経て独占資本主義が確立するまでは、寄生地主・小作関係こそが日本の支配的な生産関係であったといわれる。」(77-78)

    (2)外見的立憲主義型の明治憲法
    「明治憲法は」「プロイセン憲法の場合と比較しても、一段と外見性の度合の高い外見的立憲主義型の憲法とならざるをえないはずであった」(79)

     (i)立憲主義の意味
    天皇が「統治権の所有者」か、「統治権を所有する法人たる国家の機関にすぎない」か。=「天皇機関説論争」
    美濃部=「国家法人説」の立場。「そうすることによって、絶対王制を否認しようとしていた。国家の機関は、国家目的のために、国法上認められている権限を行使するにすぎないとしていた。」
    「上杉の立場は「朕は国家なり」であった。」「天皇は、統帥権の所有者として、憲法上明示的に禁止または制限されていない事項については、自由におこないうる、という立場がとられていたとする。」
    「天皇機関説論争」は「「国体明徴問題」として、権力により、強制的に、「天皇機関説」の否定という形をとって、決着させられた。」(79-81)

     (ii) 臣民の権利
    「「人権」の保障はなく、「臣民ノ権利」として、主としては自由権が、プロイセン憲法の場合よりその数を制限されて保障されていた。」(81-82)

     (iii)日本型王権神授説にもとづく天皇主権
    「日本型王権神授説」=天皇は「神の子孫」「現人神」。ヨーロッパにおける王権神授説=絶対君主は「地上における神の代理人」。
    ①「日本型王権神授説をふまえて、天皇主権がとられていた。」
    ②「天皇は、統治権の総攬者として、全権力に関与していた。」「大権」=「宮務(皇室)大権、統帥大権、国務大権」
    ③「立法大権は、帝国議会の「協賛」をえて行使すべきものとされていた。」
    ④「司法権ハ天皇ノ名ニ於イテ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ」(83-86)

     (iv)外見性の強い権力分立
    上の(iii)の説明

     (v)地方公共団体のあり方にかんする規定の欠落
    ①「明治憲法は、地方公共団体についてなんら規定を設けていなかった。」「これは、近代市民憲法としては、まったく異例のことであった。」
    ②「天皇による統治権の総攬の体制のもとでは、地方公共団体の具体的なあり方は、天皇の政府に従属したものとならざるをえないはずであった。」
    ③「現実には、明治憲法の制定に先だって、地方制度が整備されたが」「団体自治、住民自治のいずれにおいても、みるべきものはほとんどなかった」(89-91)

     (vi)「統帥権の独立」
    「天皇は、国務大臣の輔弼(ほひつ)をえて、その国務大権を行使するものとされていたが」、「明治憲法制定の当初から、第一一条の統帥権(統帥大権)の行使については、国務大臣の輔弼を要しないと解釈運用されていた。」(93)

    ■三 民衆の憲法思想(96)

    「近代市民革命期には、近代化つまり資本主義化と立憲主義化を目指して議会に結集したブルジョアジーとは別に、議会の外で、民衆の解放を目指して民衆が独自性豊かな行動をした。」

     1 ヴァルレの憲法構想

    (1)ヴァルレの登場
    一七九二年夏から翌年夏にかけて、「二つの注目すべき文書を発表している。一つは、「国民公会における人民の受任者に対する命令的委任案」(「命令的委任案」)であり、もう一つは「社会状態における人間の権利の厳粛な宣言」(「厳粛な宣言」)である。」(97)

    (2)「厳粛宣言」における民衆の憲法構想

     (i)その人権保障
    ①「人権保障の目的性」。
    ②「民衆解放のために充実した自由権の保障を求めていた。」「一七八九年人権宣言と比較すると、とくに精神的自由権と身体的自由権は、保障の範囲や量においても、また保障の内容の質においても、格段に優れている。」
    ③「形式的な自由・平等だけでなく、実質的平等、社会経済的弱者に対する配慮も強化されていた。」「実質的平等や生活についての保障を欠く場合には、自由も人権も、その享有のために必要不可欠な物質的基礎を欠くものとして、幻想になってしまうことを、ヴァルレは見抜いていた。」
    ④「教育を重視する」。
    ⑤「圧制が存在する場合には、それへの抵抗を「蜂起の権利」として認めていた。」(98-102)

     (ii)「人民主権」の原理
    「国民主権」とは異質の「人民主権」。「それは、「人民による、人民のための政治」を徹底して求める原理で、「国民」と異なる「人民」を主権(統治権)の所有者とする原理である。」
    「ヴァルレは、ルソーに臣従し、「人民主権」を以下のように具体化しようとしていた。」
    ①「主権(統治権)は「人民」のものであるから、「人民」の意思力・執行力としてしかあらわれることができない。具体的には、「人民」が国政の基準となる法律の決定権をもち、その執行についても統制権をもっていることを意味する。」
    ②「「人民」による法律の決定の典型的な方法は、議会が法律案(デクレ)を作成し、これについて「人民」の単位としての各セクシオンの主権者集会が検討のうえ賛否を決定し、その結果を議員が訓令としてもち寄り、集計して全体としての「人民」の一般意思つまり法律としての成否を決定するという方法である。」
    ③「法律案の作成を担当する議員は、「人民」の単位からの受任者として、「人民」の単位によって直接選ばれ、そこから与えられた代理権の範囲内で行動し、それに報告し、その訓令に服する」
    ④「「人民」の単位は、議員について責任追及権をもっている。責任の内容は、召還と刑罰である。」
    ⑤「法律の執行を担当する公務員も、「人民」の所有する統治権の一部を担当する者として、「人民」によって選任され、「人民」からの責任追及を免れない」(103-106)

     (iii)「人民」への権力の集中
    「モンテスキュー的な権力分立制や「国民代表制」によってこの目的を達成することはできないと断定する。「人民」に全権力を集中する「民主集中制」の要求である。//しかしそのうえでなお、現実に公務を担当する者について、公務の兼任を禁止し、「創設される全機関の間に明確な分離を設けるべきである」としている」。「「人民主権」原理に従属する権力分立制である。」(106-107)

     (iv)充実した地方自治の要求
    「厳粛宣言」ではふれていないが、「サン・キュロット運動は、「人民主権」の観点から充実した地方自治を要求していた。」(107)

     (v)戦争と軍備に対する激しい態度
    「「諸国民の間の戦争は、君主、専制君主、野心家、支配者の地位にある陰謀家によっておこなわれる人類に対する罪である。人類に対するこれら抑圧者は人類の法の保護の外にあり、彼らを地上から一掃する者は全人類の功労者である」」(108-109)

     2 「バブーフの陰謀」における憲法構想

    (1)「テルミドールの反動」
    「一七九三年から一七九四年にかけての経験をふまえて、自由経済体制批判的でしかも法生活の安定性や予測可能性を保障しない「ジャコバン独裁」(ロベスピエール体制)を解消し、また、一七九二年から一七九三年の経験-民衆の政治参加はかならず経済の民主化、とくに経済活動の自由の制限を伴う-をふまえて、民衆の政治参加を拒否しようとするものであった。」(110)

    (2)「バブーフの陰謀」における人権保障と民主主義の特色
    ブオナロッティは「ロベスピエール派としてのブオナロッティの偏りを示しながらも、この革命運動の憲法構想(民衆解放のための人権保障と民主主義のあり方)の要点を紹介していた。」

     (i)その人権保障の特色
    ①「民衆解放のために私有財産制が否定され、社会主義の立場がとられていた。」
    ②「人民全体の必要と各人の職能に応じて、労働可能者に平等に労働が義務づけられていた。」
    ③「労働だけでなく、労働の成果の享有も平等に保障されるべきだとされていた。」(112-115)

     (ii)「人民主権」の政治
    「「自由と平等は、全市民が法律の制定に参加し、公行政を担い、領土と法律を守るためにたえず武器をとる用意をしているかぎりにおいて、存在しうる」。」(116)

    ■四 三つの憲法構想の関係(118)

    「①近代市民革命を経て出現する近代立憲主義型の市民憲法、②「上からの近代化」として出現する外見的立憲主義型の市民憲法、および③ブルジョアジーにも従属する民衆の憲法思想である。」
    「①こそが近代における市民憲法の本命ということができる。③は、①をも批判するものとして、それに一貫して伴走し、その運用および現代市民憲法の成立に大きな影響を与えるとともに、社会主義憲法の母胎ともなるはずのものであった。」(118-119)

    ■感想、おまけ

    (A)「個人」観、「市民」観

    個人は一対一では出会えない=直線モデル=底辺のない三角モデル
    排除された第三項、法、規範、公権力
    市場そのもの、市場を形成する行為そのものが含有する「社会的成分」の評価の問題。スミスの評価。リカード派社会主義者の主意主義(既存の体制をそのままにしたうえでのそれ)。市場が「無秩序」とされる分、秩序は「責任」=他者抜きの、境界内部の、自己充足的なそれ、の側に占有されてしまいそう。ユダヤ的なもの=境界を越える、ないしは境界線上の、「ボーダレスの無責任性」(与えられた権利は享受しても、義務について、境界線の内部で責任をもたない)の意味の問い直しの必要。

    (B)アナルコ・キャピタリズム、リバータリアン、「グローバル」化

    (C)「公共」性と「階級関係」は矛盾しない
    昔、滝村国家論を読んで一番影響を受けたのは、「「実体的対象としての区別と対象把握レベルでの区別」との区別」、という彼の方法だった。実体的区別の批判。
    たしか直接には津田道夫あたりの国家論への批判だったとおもうが、国家の政治的・階級的機能と社会的・公共的機能との区別は、実体的対象としての区別ではなく、対象把握レベルでの区別だとする。「交通整理」は公共的か階級的かのような、実体的対象としての区別にのったうえでの発想そのものを批判していた。
    いうならば「階級関係」という人間関係によって「公共」機能が営まれる(後のフーコー「生政治」などとも親和性あった)というような。「市民社会」論なり「自然法」なりの別の読まれ方の必要。

    階級社会も人間「社会」のひとつ=再生産が成立している。階級対立社会であっても当該の集団内の成員一般に通じる権利・法なりはありうるということ。

    「人類前史」も「人類史」、「階級社会」も「社会」、「敵対」も「アソシエーション」のひとつのかたち

    これは宇野の特殊歴史的形態をとおして超歴史的社会的再生産過程が営まれるという発想とも一致していた。「階級社会」=「階級」対立という特殊歴史的人間関係をとおして一人間「社会」として再生産過程が営まれているというイメージ。恐慌を含む景気循環過程をとおして、社会的生産が編成され、一社会としてなりたっている(「均衡化」の過程としての景気循環)。

    ただし宇野でも(「交通整理」は公共的か階級的かの価値論版のような)「純粋な流通費用」は超歴史的・価値形成的かいなかのような実体的区別の発想を引きずっていた(「経済原則」の実体化)→これの批判のために中野正の「流通」観や廣松の関係論が必要だった。

    法(グラムシ関連)、貨幣(今村でも栗本蝶の貨幣でも)でも同様だろう。媒介一般がなくならない、なくせないということと、特殊歴史的(はじまりがあり終わりがある)人間関係のスタイルが不変かどうかとは全く別の問題だろう(スッポンポンと透明なパンツととの区別)

    陽水の二元論とカール・パーキンス(市民社会と国家のマージ)

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2011年2月 5日 (土)

    「不安定」の百年(2)

    「持続する「不安定」―「泡」について―」の前半部、「[一]「不安定」の百年」の部分、全二回。

    目次

    持続する「不安定」―「泡」について―

    [一]「不安定」の百年(承前)

    ●長めのイントロ―「川上忠雄さん公開フォーラム」の感想
    ●宇野弘蔵『経済政策論 改訂版』「補記」部分の解釈―第一次大戦以後

    以上前回

    ●持続する「不安定」―一九三〇年代以後

     ロシアの「一九三〇年ごろの、農場の集団化に始まった革命は、三〇年代のわれわれの世界を転換させた大きな社会変化の最初のものだった」。一九一七―一九二四年の「第一の革命はロシアの一事件にすぎなかったのであり、それはロシアの土壌のうえに長期に及ぶ西ヨーロッパ的発展の過程を実現したのに対し」一九三〇年代の「第二の革命は、同時に生起しつつある世界的転換の一部を形成したのである」(以上、カール・ポランニー『大転換』吉沢英成、野口建彦、長尾史郎、杉村芳美・訳)。つまり「三〇年代、四〇年代の激動は」「市場社会の終焉であったと同時に、市場社会以後を拓く胎動、自己調節的市場に規定されない社会体制建設の開始―ファシズム、社会主義、ニュー・ディール―でもあったというのである」(同前、訳者「解説」)。

     一九世紀中葉から一九一〇年代までの「循環性恐慌」に象徴される時代のこの「市場機能」(生産まで編成する価格形成メカニズム)が、一九二〇年代以降に変質した。「第1次大戦前における循環性恐慌の発生と波及を支えた国際金本位機構の変質」(平田喜彦+侘美光彦編著『世界大恐慌の分析』五七頁)、つまり「循環性恐慌」から「大恐慌」へ。すでに時代は変わり、作動条件は失われていたのに、既存の「国際金本位機構」にこだわったゆえにおきたのが一九二九年「大恐慌」、それ以降、金本位制離脱、時代に対応した管理通貨制のもとで、「その結果、戦後の景気循環の形は、戦前の <好況→恐慌→不況> というサイクルではなく、 <好況→不況> を繰り返すものに変化した」(侘美光彦『大恐慌型不況』四四―四八頁)というストーリーについては本誌前号でも引用しておいた。

     すでに時代は変わり、作動条件は失われていたのに、金本位にこだわっておきたのが二九年大恐慌、以後は「大恐慌型不況」、というストーリーとのアナロジーでいえば、生活様式・再生産構造の地殻変動と古典的生活慣習(ポピュラー・ノルム)とのアジャスト(調整)の過程が六〇年代後半の社会的大変動だったともいえるだろう。象徴的にいえば米ヒッピーと中紅衛兵の無目的な・膨大な場所の移動など。これによって社会生活の規範、慣習は事実上の下部構造の動きに対応した生活様式(ライフスタイル、ポピュラー・ノルム)へと着地してゆく。

     すでに失われていた作動条件と既存の構造との軋轢が六〇年代後半の生活様式の大変動=「大恐慌」だったのだとすれば、これ以降は「大恐慌型不況」ふうに、継続する「不安定」へと、資本主義の新しい生活様式・蓄積構造へと調整、吸収されてゆく。資本主義の下でもすでに作動条件を失っていた「マッチョで「健全」な「進歩主義」」は権威を失墜させていった。

     はじめに掲げた「川上忠雄さん公開フォーラム」の二次会「飲み屋」で川上さんは、岩田弘の現在の志向性への媒介として、七〇年代の「原住民史観」とでもいうべき時代があったことを強調されていた。「古典的」マルクス派も当然ふくむ、すべての前提となっていた土台の常識そのもの、「進歩=善きもの、正義、前向き、「科学」、「知識」」等々を無前提に肯定してきた常識そのものへの批判。アプリオリな「男らしさ」「人間らしさ」「知識人なる自己」じしんが、アプリオリな「透明性」「具体性」じしんが崩壊しているのだから。

     岩田弘本人の思惑やリアル・タイムでの受容のされかたを脇において、七〇年代、古書店の定番アイテムのひとつだった岩田『世界資本主義』を読んだ当時の感想。それは岩田の文章、文体(「論理」はまた別)の許容度(トンデモ度)からするなら、「万年危機」など、現実の「高度成長」過程のその先に待っている絵に描いたような「危機」のイメージでなく、どうせなら「高度成長」過程それじたいを現代型の「危機」の姿として読み込むことができていたなら、それなりにおもしろかっただろうな、というものだった。いっそのこと、たとえば「バブル」を「欠乏」として、「拒食症」を「飢餓」として、「恐慌」や「飢餓」や「欠乏」を特殊歴史的な現代的スタイルの「抽象的悲惨さ」(宮台真司)として読むことができていたら。小判何枚かで娘を女郎屋に売る「文七元結」も、「女工哀史」も、「積木くずし」も、家族の「悲惨」の現象形態として「タメ」(等価)という視点をもてていたら。「痛み」はもともと当該の社会という土俵・場におけるもの。当該の社会という土俵から勝手に抽象した「痛み」の「物理的量」を当該の社会内のコンテクスト抜きに比較することはできないのだから(アンデルセン「えんどう豆の上に寝たお姫様」も参照)。

     持続する「不安定」と「退廃」、背景としての大衆、文化。「大衆化」の進行とは、旧来の「知」が下方に降りてきたというより、それまで「人倫の営み」の外部とみなされてきた「下品なもの」が、「下品なもの」のままで「市場経済という社交体」の内部すなわち「人倫の営み」の内部に公然と登場してきたということ。それが誰の目にも明白になってしまったのだ(アレントの歯ぎしりが聞こえても、ハッ、ハッ、ハ、もう元には戻れない)。「関係の第一次性」の構え、「先立つスッピンのもの」を想定しない発想がデフォルトとなってくるのは七〇年代以降だったとおもうが、廣松も、その「森羅万象」の物象化論の部分が「現代思想」一般と同様に民衆の占入見の変化に合致していたのだ。

    ●パンツとしての「弥陀仏」―田中久文さんの三木清

     関連して、ずいぶん以前の「M&R研究会・田中久文さん公開フォーラム」への感想より少し引用してみよう。当時の田中レジメにある「三木によれば、「虚無」に基づく人間主体は常に旧い文化の解体と新たな文化の形成への衝迫をはらんでいる。そのことを三木は人間本来のあり方として積極的に肯定する」(田中レジメ、二頁)に連なる問題だ。

     三木清の「「喪失としてのニヒリズム」から「根拠としてのニヒリズム」への転換」、「「虚無からの形成力」として「構想力」というものを考え」(田中レジメ、二頁)るとは、結局は「すっぽんポン」(ベタな直接性)なのか「透明なパンツ」(媒介性)なのかという「疎外されない状態」のイメージに関わってくるだろう。田中吉六の「受苦的・情熱的」存在、「世界の被媒介的存在構造」(廣松)、「人間の物質代謝過程に、生命維持以外の動機を与え、その動機の下に物質代謝過程を一定の姿で継続させる仕組み」としての「制度化」(岩井克人)、今村仁司の「媒介」、栗本慎一郎なら「パンツ」、吉本隆明なら「原生的疎外」「根源的位相の疎外」、関廣野の「制度」、バタイユや佐伯啓思の「過剰なものや、役に立たないもの」などなどに共通するものだ。

     三木の「業」(ごう)の立場への批判としての西谷啓治の「行」(ぎょう)の立場。これはマル経用語でいえば「原則」としての「業」にたいして「法則」としての「行」とでもなるのか。「原則」はハダカのままあらわれることはできない、つねに特殊歴史的な法則(「行」)を通じて原則(「業」)が貫徹される、というような具合だろうか。

     田中レジメでは「三木の説く「構想力」とは、結局は自然全体に備わったものとされている。だとするならば、そうした自然全体の働きの内に弥陀の働きをみることはできなかったのか? 親鸞自身「弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり」(『末燈鈔』)としているのだから」(同前、九頁)とされていた。しかし媒介の必然性をパンツとしての「弥陀仏」と考えるなら、「全き合一」のようなスッピンに比べ、かろうじて皮一枚(パンツ)残したところがむしろ三木の肯定面のようにも感じられた(ただし後の『M&Rレビュー』掲載のまとめのほうはすっきり納得できた。「三木は、あくまでも「作為」を強調します。どこまでいっても自然全体が「作為」である。自然の本質は「作為」であると三木は言っています。この点で三木は日本の伝統思想に徹底的にたてついたところですし、西田先生を超えようとしたところであろうと思います。これが、親鸞の自然命題を打ち出せなかった理由かもしれないという気がします」(田中久文「京都学派の遺産」『M&Rレビュー』二四号、三七―三八頁))。

     同レジメの九鬼周造でいえば「人は偶然の出会いを何とか必然化しようとする」(同前、七頁)。中井英夫『虚無への供物』ではないが、単なる無意味な事件の羅列に耐えられない、なんらかの「定型」を求める「意味という病」(柄谷行人)にとらわれた存在のことだろう。この「意味」とはつまり、全体性への希求、物語への希求、「真犯人」への希求のことだ。だからアルチュセールの偶然の一致の「出会い系」唯物論というのは「謀略・陰謀史観」の批判になるのだ。

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    «「不安定」の百年(1)